ポルトガル共和国(リスボン)
アグアス・リブレス水道橋
1/43
ここはポルトガルの首都リスボン。
写真は西のシントラ近くから上水道を引くためのアグアス・リブレス水道橋。
17世紀後半に建設され、約300年使用された。
ジェロニモス修道院
2/43
ここはリスボン市内を流れるテージョ川の北に位置するベレン地区。
リスボンで観光に訪れる人が最も多い。
その代表的な観光地、ジェロニモス修道院。
ジェロニモス修道院
3/43
ジェロニモス修道院の入り口、ファサードの風景。
修道院は16世紀初め、ポルトガルの王マヌエルⅠ世の命によって建築が始まった。
修道院の回廊
4/43
修道院の建物は大きく、見どころは多い。
まずは回廊。
中庭を囲む開放的な空間だ。
修道院の回廊
5/43
回廊の二階を北から南の方向の風景。
教会のドームが見える。
修道院の回廊
6/43
ジェロニモス修道院はバスコ・ダ・ガマのインド航路開拓を実現し、航海を成功させた偉業を称えるため建築された。
修道院の回廊
7/43
回廊を構成するアーチや柱などには随所に航海に因む装飾、地球儀や珊瑚、ロープ、船などをデザインした飾り付けがされている。
聖堂内風景
8/43
教会の聖堂内の風景。
建築様式はマヌエル様式と呼ばれる15世紀から16世紀にポルトガルで流行った建築様式。
聖堂内風景
9/43
聖堂内の礼拝堂風景。
宮殿の様に豪華絢爛なジェロニモス修道院はバスコ・ダ・ガマが築いた東方との香辛料貿易で得た莫大な資金で建築された。
聖堂内風景
10/43
筆者が訪れたのは丁度年末。
聖堂内にはツリーが置かれていた。
聖堂内風景
11/43
聖堂内のステンドグラス。
建築資金をふんだんに使って建築を始めたジェロニモス修道院だが、王マヌエルⅠ世の死去などがあり、完成したのは300年後だった。
聖堂内風景
12/43
聖堂内の美しいステンドグラス。
ジェロニモス修道院はバスコ・ダ・ガマやマヌエルⅠ世の霊廟にもなっており、修道院内には石棺が安置されている。
聖堂内風景
13/43
ジェロニモス修道院はリスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
結婚式
14/43
二階からの礼拝堂風景。
聖歌が聞こえ、人々が集まっていたのでミサかと思えば結婚式だった。
結婚式
15/43
礼拝堂での結婚式風景。
司祭から祝福を受ける新婚さん。
新婚さん
16/43
ジェロニモス修道院を後にする新婚さん。
発見のモニュメント
17/43
ジェロニモス修道院からすぐ南、テージョ川の川岸に置かれているコンクリ造りのモニュメント、発見のモニュメント。
ポルトガルが大陸を発見していった時代、大航海時代を記念して建てられた記念碑。
発見のモニュメント
18/43
モニュメントのすぐ前は川。
モニュメントのデザインは帆船。
両側にはバスコ・ダ・ガマやマゼラン、フランシスコ・ザビエルなど大航海時代の著名な偉人たち33人の像が刻まれている。
発見のモニュメント
19/43
発見のモニュメントを背景に筆者近影。
モニュメント北側の地面には巨大なコンパスローズと呼ばれる羅針図のモザイクがあり、中央に世界地図が描かれている。
地図には世界各地を発見した年が記されており、日本も記載されている。
ジェロニモス修道院
20/43
発見のモニュメントのコンパスローズから見た北側方向、ジェロニモス修道院の風景。
ベレンの塔
21/43
これは発見のモニュメントから川沿いに西へ1kほどに建つ石造りの塔、ベレンの塔。
地区の名にもなっているベレンはバスコ・ダ・ガマがインド航路発見時に出港した地。
ベレンの塔
22/43
ベレンの塔はテージョ川の小さな島の上に、ジェロニモス修道院と同時期にマヌエルⅠ世によって建築された。
ベレンの塔
23/43
古城の様なベレンの塔は監視塔や砲台を備えた城塞として建築され、テージョ川を行き来する船を監視し、ベレンの港やジェロニモス修道院を守る要塞として機能した。
ベレンの塔
24/43
ベレンの塔は灯台としても機能しており、長い厳しい航海から終えて帰ってきた船乗りたちにとっては、真っ先に優しく迎え入れてくれた我が家の様なシンボルだった。
ベレンの塔
25/43
白く優雅にテージョ川にたたずむ姿はテージョ川の貴婦人と称される。
河口に近く、潮の満ち引きがあり、丁度干潮の時だった。
ベレンの塔
26/43
ベレンの塔の近くで見かけたリスボンの母娘。
ベレンの塔はリスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ファド
27/43
リスボンの夜はファドの音楽を聞きながら。
ここはアデガ・メスキータというファド・レストラン。
ファド
28/43
ファドとは運命・宿命の意味で、ポルトガルの国家的な大衆歌謡の事。
ファドの特徴は、全ての歌では無いが、多くの歌が悲しい哀愁漂う調べだ。
ファド
29/43
ファドが聞ける店が集まるのは古い街並みが残るアルファマ地区やバイロ・アルト地区が知られる。
ファド・レストラン、アデガ・メスキータがあるここ一帯はバイロ・アルト地区で、石造りの古い建物が建ち、路地は細い。
ファド
30/43
ファドのルーツはいくつも説がある。
港町リスボンでは、ブラジルやアフリカの民謡を船乗り達が持ち帰り、船乗りの歌として広まったとされる。
ファド
31/43
このパートは歌は無く、ギターラ・ポルトゥゲーザと呼ばれる丸い形の胴の弦楽器とクラシック・ギターによる演奏。
メロディを担当するギターラ・ポルトゥゲーザの演奏が見事。
ファド
32/43
ポルトガルのファド歌手で知られるのがアマリア・ロドリゲス。
1999年に79歳で永眠した国民的な歌姫、英雄だった。
日本でのひばりさんの様な存在かな。
ファド
33/43
このレストランではファドの歌以外に、陽気な曲に合わせて男女が踊る、フォークダンスのような民族ダンスも披露していた。
ファド
34/43
ファドは「ポルトガル都市部の民衆歌謡、ファド」としてユネスコ世界無形文化遺産に登録されている。
通りの風景
35/43
バイロ・アルト地区の細い路地風景。
いくつもあるファド・レストランからは哀愁のメロディーが流れていた。
サン・ロッケ教会
36/43
バイロ・アルト地区の東の外れにあるイエズス会の教会、サン・ロッケ教会。
16世紀初頭に礼拝堂が建てられたのが始まり。
マルケス・デ・ポンバル広場
37/43
車窓からマルケス・デ・ポンバル広場の風景。
夜で見えにくいですが、18世紀中頃のポルトガルの政治家ポンバル侯爵とライオンの像が乗る塔が中心に建つ。
4月25日橋からの風景
38/43
リスボンを離れ、南へ向かいます。
ここはテージョ川に架かる4月25日橋からの風景。
4月25日橋からの風景
39/43
橋から見た発見のモニュメント。
橋からはベレン地区が一望できる。
4月25日橋からの風景
40/43
橋から見たベレンの塔。
4月25日橋は吊り橋で、全長2、277m。
1966年に完成した。
4月25日橋からの風景
41/43
橋から見たテージョ川の河口の風景。
橋は道路の下に鉄道が走る鉄橋ともなっている。
4月25日橋
42/43
4月25日橋は元々はポルトガルの独裁者サラザールから、サラザール橋と名付けられたが、軍事クーデター、カーネーション革命の成功した4月25日からその名をとった
クリスト=レイ像