ルーマニア(ブラショフ)
ブラショフ
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ルーマニア、トランシルヴァニア地方の街、ブラショフを観光します。
街近くの丘に、街の名前の看板が立ててあった。
ブラショフ
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ブラショフの街の入り口辺りの風景。
トランシルヴァニア地方はルーマニアの中部から北西部にかけての範囲を指し、中心となる都市はブラショフ。
アンドレイ・サグナ大学
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旧市街へ向かうため、プランドゥルイ通りを東へ進む。
この建物はアンドレイ・サグナ大学。
ブラショフにある国立の大学。
旧市街入り口
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プランドゥルイ通りを東へ進むとロータリーがあり、そこから東側は旧市街となっている。
旧市街入り口にはスケイ門があり、西へポアルタ・スケイ通りが延びる。
スケイ門の西側から北方向の風景。
左の塔は旧市街を防衛したキャサリンズ・ゲート。
スケイ門
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ブラショフ旧市街の入口に建つ、スケイ門。
旧市街はかつてドイツ系民族が建設した城塞都市で、他の民族が入って来られない様に、街を城壁で囲んだブラショフ要塞を建設、いくつかの城門を建てた。
スケイ門はその一つ。
キャサリンズ・ゲート
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スケイ門をくぐり、門の東側から北側の風景。
左の塔は前述したキャサリンズ・ゲート。
エカテリーナの門とも呼ぶ。
手前左はルーマニア建築家騎士団の館。
ベス・イスラエル・シナゴーグ
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ポアルタ・スケイ通りを東に進むと、右手南側に少しカラフルな建物があった。
ベス・イスラエル・シナゴーグの建物だ。
シナゴーグとは正統派ユダヤ教の教会の事で、ベス・イスラエルとはイスラエルの家、の意味。
ブラショフ
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ポアルタ・スケイ通りの旧市街の風景。
緑色の建物はタルトラー孤児院。
19世紀初頭の建物で、現在は学校の校舎として使われている。
ストラーダ・スフォリ
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さらに東へ進むと、脇道があった。
とても狭く、人ひとりしか通れない位の狭い通りだ。
ストラーダ・スフォリ、スフォリ通りと呼ばれる路地で、ヨーロッパで最も狭い通りとも言われていて、紐の道の愛称がある。
17世紀ごろ、消防士が奥の家が火事になった際に、消火活動をするための通り道として整備された。
旧市街の風景
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家の窓に綺麗に花々を飾っている、ブラショフ旧市街の風景。
トランシルヴァニアの地名は、この地がハンガリー王国だった11世紀に書かれた、中世の古文書の中にラテン語で、森の向こうの土地、とあり、それが語源。
旧市街の風景
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更に進むと北へ延びる脇道、ハンス・ベンクネル通りがあり、通りの先には黒の教会が見えて来た。
これから黒の教会へ向かいます。
旧市街の風景
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黒の教会の周囲は広場となっている。
地元の子供たちかな、遠足にでも来ていた様だ。
黒の教会
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黒の教会。
ドイツ系民族ザクセン人が聖母マリアを敬うため、14世紀後半にゴシック様式で建てた、福音派のルーテル教会。
左下の小さく映る像は、ブラショフ生まれのザクセン人神学者、ヨハンネス・ホンテルスの銅像。
黒の教会
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教会の南西角に立つ鐘楼の塔。
上には釣り鐘があり、重さ6トンと言う、ルーマニア最大の釣り鐘が設置されている。
黒の教会
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黒の教会の鐘楼の塔。
時計塔にもなっている。
くっきりとしたきれいな時計で、カラフルな色でした。
最近修復したのかも。
黒の教会
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教会の東側からの丸みを帯びた大聖堂の風景。
支柱の塔にある彫刻は、聖母マリアとキリストの彫刻。
黒の教会
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黒の教会の建つ地には、古くはカトリック教会の聖メアリー教会が建っていた。
初期の黒の教会はカトリック教会だったが、宗教改革が興り、神学者ヨハンネス・ホンテルスの運動によりプロテスタントのルーテル教会へと変わった。
黒の教会
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黒の教会のシックな風情。
黒の教会と呼ばれているのは、17世紀のオスマン帝国との戦いで、ハプスブルク帝国軍の攻撃によりブラショフ大火が発生し、その時に焼け焦げが着き、黒くなったとの伝承から。
ただ、実際には大火が教会に及んだ証拠は見つかっていない。
黒の教会
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教会が黒ずんだのは、ブラショフが近代化の際に大気汚染が発生し、そのためにススが教会の外壁に付いた事が現実らしい。
事実、黒教会と呼ばれ始めたのは19世紀からである。
今は修復され、黒い外壁のイメージはそれ程残っていない。
黒の教会
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教会の横、南側にある大きな扉は金の門と呼ばれている。
閉じられていて入ることはできない。
黒の教会
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教会の境内の祠。
秋だったので、黄色の落ち葉が沢山舞っていた。
古い教会にはぴったり。
ブラショフ旧市街
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黒の教会近く、旧市街風景。
教会西側から北、ジェオルジェ・バリツィウ通りを望む。
ブラショフ旧市街
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旧市街、ジェオルジェ・バリツィウ通りに建つ古い建物。
書籍の商いで富を得た商人の館だった。
現在は改装されてレジデンス・セントラル・アナポリスと言うホテルになっている。
スファトゥルイ広場
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黒の教会から北東へ進むと、広々とした広場があった。
スファトゥルイ広場だ。
広場の南側から北側方向の風景。
スファトゥルイ広場
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広場の南側から広場南東側の風景。
広場に面して古いドイツ風の建物が建ち並び、沢山のレストランやオープンテラスのあるカフェが店を開いていた。
スファトゥルイ広場
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広場で見かけた、小さな女の子。
広場東側には、かつては商人の家、ハーシャー・ハウスが建ち並んでいた。
花が咲く植木鉢が並ぶ様に置かれていて、花の列、と呼ばれている。
旧市役所
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スファトゥルイ広場の中心に建つのは旧市役所の建物。
現在は歴史博物館となっている。
60mの高い時計塔は当時の見張り塔で、警鐘を打ち鳴らす鐘がある。
スファトゥルイ広場
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広場の北東方向の風景。
中央の建物はアート・ギャラリーの建物。
スファトゥルイ広場
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更に北側寄りの風景。
中央の塔がある建物は、ブラショフ正教会の生神女就寝教会。
生神女就寝とは、聖母マリアが安らかに天に召された事。
スファトゥルイ広場
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広場から、噴水越しに広場の北側の風景。
旧市役所の近くにある、円形の大きな噴水を取り囲む様に、階段状の石のベンチが置かれていて、特に夏場は涼しげな噴水を見ながら一休みができる。
スファトゥルイ広場
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スファトゥルイ広場から、黒の教会を望む。
黒の教会の聖堂内には美しいフレスコ画や荘厳な祭壇がある。
また、巨大なパイプ・オルガンが設置されており、4000本のパイプに4つの鍵盤を持つ、ルーマニア最大級の大きさ。
現在でも定期的に演奏会が開催されている。
スファトゥルイ広場
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スファトゥルイ広場は観光地で観光客も多いが、市民の憩いの広場でもあり、地元の人達も思い思いに散策していた。
広場は中世の時代、評議会広場と呼ばれていて、旧市役所の建物は評議会議事堂だった。
ここで裁判が開かれ、重罪者には処刑がなされた。
スファトゥルイ広場
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広場で、ハトを追いかけていた男の子。
スファトゥルイ広場は中世の時代、マルクト広場と呼ばれていて、ブラショフの商業や文化の中心地となっていた。
当時から広場では、見本市が開催されていて、多くの商人たちが集まった。
レプブリチイ通り
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スファトゥルイ広場を後に、北東にある中央公園に向かいます。
ここはスファトゥルイ広場から続くレプブリチイ通りの風景。
レプブリチイ通り
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レプブリチイ通りから振り返って、黒の教会やスファトゥルイ広場方向の風景。
賑やかな、メインストリートにもなっている、歩行者天国の通り。
レプブリチイ通り
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レプブリチイ通りにて、ストリート・ミュージシャンがいた。
辺りにはレストランやオープン・カフェが店を開き、お洒落なショップが建ち並ぶ。
レプブリチイ通り
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中世には共和国通りとも呼ばれたレプブリチイ通り、当時陶芸の職人の館が並んでいた。
ドイツ風の建物が建ち並ぶが、ドイツ系民族ザクセン人が建てたドイツ風建築は17世紀末、火災で多くは焼失した。
県庁舎
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レプブリチイ通りを北東に突き当たると、中央公園の東側、エロイロル通りに出た。
この建物は県庁舎。
元は旧司法宮殿、ブラショフの行政宮殿の建物で、歴史的建造物となっている。
市庁舎
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この建物は県庁舎の北東に建つ市庁舎。
スファトゥルイ広場からここに移った。
石造りの重厚な建物だ。
市庁舎
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ブラショフ市庁舎。
市庁舎の正面、西側には中央公園が西へと広がっている。
中央公園はニコラエ・ティトゥレスク公園とも呼ばれ、市庁舎西から西へ300m、南北に130mもある広い公園。
ニコラエ・ティトゥレスクとは、20世紀初めルーマニア王国時代の外務大臣で、国際連盟総会議長も務めた。
中央公園からの風景
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中央公園から北側の風景。
緑色の綺麗な建物が見えた。
療養福祉施設の建物の様だ。
ホテルからの風景
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ブラショフ観光を終えてホテルに戻って来ました。
ホテルの部屋から見たブラショフの街の風景。
聖ペテロ・パウロ教会
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ホテルの近く、南西に建つのは聖ペテロと聖パウロのローマカトリック教区教会。
使徒聖ペテロと聖パウロに捧げられた、多くの教会の1つ。
18世紀後半に建てられた、バロック様式の教会。
ホテルからの風景
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ホテルから南側、スファトゥルイ広場方向の風景。
ホテルはアロー・パレスで、中央公園の直ぐ南にある。
ホテルからの風景
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ホテルからはスファトゥルイ広場に建つ建物が見通せる。
手前の銀のドームは生神女就寝教会、真ん中の塔は旧市役所の時計塔、奥は黒の教会。
ホテルからの風景
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ホテルの南東に建つのはフランシスコ会修道院。
洗礼者聖ヨハネに捧げる修道院で、現在の建物は18世紀に再建されたもの。
夕食
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夕食では、前菜としてシチューの一種、チョルバが出て来た。
チョルバはルーマニアでは馴染みの料理だが、ルーマニア独特の料理では無い。
広く、東ヨーロッパから中東、中央アジアなどでも食べられている。
国々によって、とても種類が多いのも特徴で、筆者が頂いたチョルバはハーブを使った、少し酸味のあるチョルバだった。
ブラショフの夜景
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夕食後、夜景が綺麗だとの事で、市内を散策に出た。
再び、ブラショフの市庁舎へ。
オレンジ色の灯りで照らし出された市庁舎の夜景。
市庁舎の夜景
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市庁舎の南側の風景。
シルエットになっている像は、カピトリーノの雌狼像。
ローマにて有名な、狼の乳を飲む兄弟の姿の像で、イタリアからルーマニアに友好の品として贈呈した。
像はブカレストにあるが、ここにも置かれていた。
市庁舎の夜景
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時計塔がある、ブラショフ市庁舎の正面の夜景。
元の建物は19世紀末に建てられた、ブラショフの財政宮殿。
現在は市役所本庁舎となっている。
ブラショフの夜景
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市庁舎の東隣に建つのは郵政局宮殿。
20世紀初頭の建物。
現在でも郵便局として使われている。
県庁舎の夜景
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エロイロル通りを挟み、郵政局宮殿の南にある県庁舎の夜景。
旧司法宮殿だった建物は20世紀初頭に建てられ、ブラショフ県議会会場にもなっている。
また、一部には裁判所もある。
聖ペテロ・パウロ教会の夜景
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市内の夜景散策を終えて、ホテルへ戻って来ました。
ホテルから見た、ライトアップされた聖ペテロ・パウロ教会の夜景。
朝のブラショフの風景
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朝のブラショフの風景をホテルから。
ブラショフはブラショフ県の県都で、首都ブカレストからは140k北に位置し、カルパティア山脈に囲まれている。
中世、トランシルヴァニア地方に移住してきたドイツ系民族ザクセン人は、当時のハンガリー王国の国境防衛の役目を務めた。
朝のブラショフの風景
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ホテルからの朝の街の風景。
その後、ザクセン人は農業や鉱業に従事、商売や手工業にも長けていた彼らは、ブラショフの街を発展させた。
ブラショフの街はオスマン帝国と西欧諸国との交易路の重要な要衝にあり、ザクセン人の商人達は財を成した。
朝のブラショフの風景
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朝のブラショフの風景。
裕福となったザクセン人はオスマン帝国の勢力に抵抗するため、トランシルヴァニア地方の各地の集落の丘の上に教会を建て、その教会を堅固な要塞とした。
その要塞教会は見張りの塔の機能を持ち、何重もの防壁で守りを固め、有事の際の籠城にも耐えるため、敷地内に食物倉庫も置いた。
朝のブラショフの風景
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朝のブラショフの風景。
オスマン帝国の侵略に遭わなかった村の要塞教会は現在まで残り、ザクセン人の築いた中世の家並みは姿を留めており、いくつかはトランシルヴァニア地方の要塞教会群のある集落、としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
しかしドイツ系のザクセン人は第二次大戦後、共産主義体制だったルーマニアから、ソビエト連邦によって追放され、西ドイツへと帰って行った。
朝のブラショフの風景
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朝もやのかかる街の風景。
ブラショフの街はドイツ系ザクセン人が築いた、ドイツ風の中世の街並みが残る美しい街。
街の郊外に残る、ブラン城観光の基地にもなっている。