ルーマニア(ブラン)
ブラン城
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ここはブラン城。
山と森に囲まれた、ルーマニア・トランシルヴァニア地方に残る古城。
ブラン城
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ルーマニア・トランシルヴァニア地方と聞くと、吸血鬼ドラキュラ伯爵が有名。
アイルランド人作家ブラム・ストーカーの怪奇小説、吸血鬼ドラキュラに登場する。
名優クリストファー・リーの映画でもお馴染み。
ブラン城
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ブラン城の石垣近くに立っていた、石造りの十字架。
聖人パンタレオンを讃えて造られた古い十字架で、ルーマニアのマリー王妃の願いでブラン城に置かれた。
王妃マリー亡きあと、王妃の心臓はブラン城に納められている。
ブラン城入り口
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ブラン城の城内へ入ります。
入り口の城門までの石段の風景。
ブラン城はトランシルヴァニア地方にあるブラン村に残る。
ブラン城の中庭風景
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ブラン城の城内中庭からの風景。
ドラキュラのモデルと言われているのが、この地方出身のヴラド3世。
敵を串刺しにするなど、残酷な処刑をしたことから伝説となったと言う。
ブラン城はヴラド家の居城で、別名ドラキュラ城と言われている。
ブラン城の中庭風景
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お城の中庭風景。
それ程広くはない中庭だ。
ヴラド3世はトランシルヴァニア地方の城塞都市シギショアラで、バサラブ朝の君主ヴラド2世の次男として生まれた。
ブラン城の中庭風景
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お城の中庭風景。
ワラキア公国の君主となったヴラド3世は、敵対するオスマン帝国の兵士や使者を串刺しにするなど、残酷な処刑を行った。
最後はオスマン帝国と交戦するも戦死する。15世紀中頃の事。
ブラン城
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お城の中へ入ります。
串刺し公と呼ばれるヴラド3世は、ヴラド・ツェペシュと呼ばれる事が多いが、これは本名では無くニックネーム。
ブラン城
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城内からの風景。
ツェペシュとはルーマニア語で、串刺しする者、を意味する。
串刺しの処刑を目撃したオスマン帝国兵士が、ヴラド3世を串刺し公と呼び始めた事から。
ブラン城
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城内からの風景。
ヴラド3世はドラキュラ公とも呼ばれた。
これは父ヴラド2世が、ハンガリー王が設立したドラゴン騎士団の官職に任じられた事からドラゴン公、ドラクルのニックネームで呼ばれており、ドラクル公の息子、ドラクレアの英語読みがドラキュラとなる事から。
ブラン城
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城内からの風景。
城内はきらびやさは無く、城にしては簡素な造りではあるが、素朴な美しさを見せている。
事実、ヴラド3世自身がサインした中にヴラド・ドラキュラと書かれた物もあり、本人もドラキュラのニックネームを気に入っていたと考えられている。
ブラン城
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城内にある上階への階段。
通路や階段も狭くて複雑で、迷ってしまう。
残酷なドラキュラ公のイメージは、後にブラム・ストーカーによって吸血鬼ドラキュラ伯爵へと移って行く。
ブラン村の風景
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ブラン城からのブラン村の風景。
ブラン城は高所に築かれているだけに、ここからは下界が一望でき、眼下のブランの村々の素朴な風景を楽しめる。
ブラム・ストーカーは、19世紀のアイルランドの作家で、首都ダブリンの生まれ。
最初は劇場の支配人をしており、作家となった頃はロマンス小説を多く執筆した。
ブラン村の風景
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ブラン村の風景。
ブラム・ストーカーの代表作、古典的怪奇小説、吸血鬼ドラキュラだが、小説にはヴラド3世は登場しない。
あくまでもヴラド3世はドラキュラ伯爵のモデルとされているだけ。
ブラン村の風景
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ブラン村の風景。
ブラン城もドラキュラ城として知られているが、ヴラド3世自身の居城では無く、祖父のヴラド1世が住んでいた。
ドラキュラ城のモデルの城も、スコットランドに残る古城だったと言う。
ブラン村の風景
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ブラン城の南西に建つ新正教会の風景。
小説に登場する城は、崩れ落ちた不気味でおどろおどろしい雰囲気だが、実際のブラン城は中世の姿そのままの美しい城で、まったく似ていない。
ブラン城の城内
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ブラン城内の風景。
調度品が美しく飾られていた。
ブラン城内部は博物館になっていて、マリー王妃ゆかりの美術品、家具や調度品が展示されている。
ブラン城の城内
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ブラン城内の風景。
マリー王妃はイングランドのケントにて、エディンバラ公爵家の長女として生まれた。
ルーマニア皇太子と結婚し、後にルーマニア王国の王妃となった。
ブラン城の城内
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ブラン城内の風景。
マリー王妃は第一次大戦の戦争中には赤十字社に加わり、負傷者の手当てを行った。
ブラン城の城内
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ブラン城内の風景。
マリー王妃は戦後、ルーマニアの愛国者として活動し、ハンガリー王国に占領されていたトランシルヴァニア地方をルーマニアに帰属させた。
童話、わし姫物語、の著者でも知られる。
ブラン城石階段
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一階から三階への狭い石階段を階下からの風景。
これは秘密の通路だとの事。
ブラン城の城下
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城下の土産品の店。
ドラキュラ関連グッズを多く置いていた。
キーホルダーやTシャツは定番で、口から血が滴るゴムのかぶり物や肖像画まで様々。
ブラン城の城下
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城下の土産品の店。
ブラン村のあるこの辺りには、13世紀初頭ドイツ騎士団の木造の城塞があった。
ブラン城が建つ地には14世紀後半初頭、石造りの城が建設された。
ブラン城の城下
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城下の土産品の店。
この城は15世紀中頃には、ワラキア公国の君主、ヴラド家のオスマン帝国防衛の要塞として使われた。
その後、ブラン城はハンガリー王国の所有を経て19世紀にルーマニア王国の王宮となる。
マリー王妃は城を大規模改修し、大のお気に入りの居城となった。
ブラン城の城下
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ノラ公がたくさんいた城下の風景。
第二次大戦に敗戦したルーマニア王国は崩壊し、君主制が廃止されルーマニア社会主義共和国となる。
王室追放によりブラン城は社会主義政権下に置かれる。
ブラン城の城下
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城下の土産品店付近から、振り返ってのブラン城風景。
ルーマニア革命によりチャウシェスク政権は倒れ、共産体制から共和制へと移行、民主化された。
ブラン城はルーマニア政府からマリー王妃の孫とひ孫に変換され、現在所有者となっている。
ルシュノフ要塞
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ブラン城観光はおしまい、ブラショフへ戻ります。
途中、車窓からのルシュノフ要塞の風景。
ルシュノフ要塞は、13世紀初頭にハンガリー王国防衛のため、ドイツ騎士団により建てられた要塞。