ルーマニア(シギショアラ)
シギショアラ
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シギショアラの街に入って来ました。
この教会はシギショアラ改革派教会。
19世紀後半に建てられたルター派の教会。
手前の川は、街の北側を流れるタルナヴァ・マーレ川。
至聖三者大聖堂
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改革派教会の西に建つのは至聖三者大聖堂。
ルーマニア正教会の大聖堂。
至聖三者とはキリスト教において、三位一体、つまり父と子と聖霊の事。
シギショアラ
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中世の街並みが今なお残る、トランシルヴァニア地方の城塞都市シギショアラ。
古都ブラショフから北東90kに位置する、ルーマニア観光の中でも、特に人気が高い街。
これは旧市街の西側、服職人仕立屋の塔。
服職人仕立屋の塔
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塔をくぐった、東側からの風景。
シギショアラの旧市街は小高い丘の上にあり、13世紀中頃にモンゴル帝国の侵攻に備えて要塞化して行く。
シギショアラ旧市街
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服職人仕立屋の塔から東へ石畳の通り、ジドゥ・チェタツィイ通りを進むと、建物をつなぐ渡り廊下に出る。
トランシルヴァニア地方は現在のルーマニアの中部から北西部にかけての範囲を言い、11世紀にハンガリー国王の領土となった。
シギショアラ旧市街
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12世紀ごろハンガリー国王により、王国の国境防衛のためドイツ系民族ザクセン人をトランシルヴァニア地方に移住させた。
シギショアラはザクセン人の手で築かれた要塞都市。
城塞都市広場
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渡り廊下をくぐると広場に出た。
ここはシタデル、城塞都市広場。
広場から南へ延びるシュコリィ通りの風景。
山上教会
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シュコリィ通りの先の山の上には、山上教会が建つ。
山の上には山上学校もあり、シュコリィ通りのシュコリィとはスクール、学校の事で山上学校へ通う通りから名付けられた。
山上教会へはこの後上ります。
城塞都市広場
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城塞都市広場での露店の風景。
アンティークな物を置いていた。
城塞都市広場は中世の時代、市場が開かれていた場所。
シギショアラ旧市街
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城塞都市広場から東の方向の風景。
突き当りの塔は、旧市街でひときわ目立ってシンボルとなっている時計塔。
塔の手前、右の建物はヴラド3世の生家。
ヴラド3世の生家
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ヴラド3世、ヴラド・ドラクルが生まれた生家。
15世紀中頃、バサラブ朝の君主ヴラド2世の王妃が、オスマン帝国の侵略から逃れるためシギショアラに疎開してきた。
ヴラド3世の生家
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現在、この建物は雰囲気の良いクラシックな内装のレストランとなっていて、筆者もここでランチを頂いた。
シギショアラ市長の家を借り受けた王妃は妊娠しており、約5年ほどこの家に滞在した。
ヴラド3世の生家
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2階は博物館となっていて、ヴラド3世ゆかりの品や美術品などが展示されていた。
これはヴラド3世の胸像。
ヴラド3世の生家
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シギショアラの中世の街並み風景の絵画。
街を取り囲む要塞の壁、左には時計塔が、右上には山上教会が描かれている。
ヴラド3世の生家
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ヴラド3世の生家の入り口上に飾られていたドラゴンの紋章。
父ヴラド2世が、ハンガリー王が設立したドラゴン騎士団の官職に任じられた事からドラゴン公と呼ばれた。
ヴラド3世の生家
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ヴラド3世の生家の南東は細い通りとなっていて、家と家の壁を支えるアーチ型下り壁が小路に設置されていた。
ワラキア公国の君主となったヴラド3世は、敵対するオスマン帝国の兵士や使者を串刺しにするなど、残酷な処刑を行った事から串刺し公とも呼ばれた。
コシトラリロル通り
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ヴラド3世の生家隣のコシトラリロル通りの風景。
突き当り奥に山上教会が見える。
ヴラド3世はドラキュラ公とも呼ばれた。
これは父ヴラド2世がドラゴン公、ドラクルのニックネームで呼ばれており、ドラクル公の息子、ドラクレアの英語読みがドラキュラとなる事から。
観光客
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通りで見かけた観光中の家族。
ヴラド3世の残酷な串刺し公のイメージは、後にブラム・ストーカーによって吸血鬼、魔人ドラキュラのモデルとなった。
コシトラリロル通り
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コシトラリロル通りを南西へ、アーチ型下り壁をくぐった辺りから城塞都市広場方向の風景。
右奥の建物は城塞都市広場東に建つドミニコ会修道院教会。
ペンション
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更にコシトラリロル通りを進むと、西側に綺麗な庭を持つ建物があった。
ここはカーサ・ラ・ストラーダと言うペンション。
ネコのいる庭
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ペンションの庭にいたネコ。
ペンションの名前のカーサ・ラ・ストラーダとは路地の家、だそうだ。
お土産屋
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通りの店の入り口の上に、Souvenirとあった。
お土産屋の様だ。
シギショアラ旧市街
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コシトラリロール通りの、南の突き当りの風景。
ここから西へ行くと山上教会への道があります。
少し寄り道して南へ行きます。
ブリキ職人の塔
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この塔はブリキ職人の塔。
左にはシギショアラ要塞が延びる。
ブリキ職人の塔
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見張り台は五角形になっているブリキ職人の塔。
側面の乳白色は漆喰で、小さな穴がたくさん空いているのは、18世紀初頭での軍事侵攻の際の銃弾の穴。
シギショアラ旧市街
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コシトラリロール通りの南の突き当りに戻って来ました。
ここから来た方向、北東の城塞都市広場方面の風景。
屋根つき木造階段
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西へ向かうと、山上教会へ上る屋根つきの木造階段があった。
この上には山上教会以外にも山上学校があり、冬季、子ども達が登校する際に雪などから守るために屋根を設置した。
屋根つき木造階段
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階段は結構距離があり、上るのに疲れる。
日本の寺にも登廊と呼ばれる、石段を覆う屋根付きの階段があり、奈良の長谷寺や東大寺二月堂などで見る事ができる。
山上学校
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屋根付き階段を上り切り、さらに左側の登り道を進むと、大きな建物があった。
山上学校の校舎だ。
最初にここに建てられたのは16世紀ごろで、何度か再建されて来た。
山上教会
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山上学校の西側に建つ山上教会。
教会の聖堂のある東側の風景。
14世紀に建てられた。
当時はカトリックの聖堂だった。
山上教会
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教会の西側に来ました。
正面、ファサードの風景。
16世紀中頃、プロテスタント、ルター派ルーテル教会となった。
正式には聖ニコラウス教会という。
礼拝堂
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それ程古くなさそうな、この建物は礼拝堂、納骨堂の様だ。
奥にドイツ人の墓地があるとの事。
ドイツ人の墓地
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さらに奥へと続く小路。
丘の上は都会の喧騒を離れた、そこは静寂の空間。
教会裏には苔むした墓石が並ぶ墓地があった。
ドイツ人の墓地
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墓地の入り口の風景。
ドイツ系移民ザクセン人が築いた要塞都市シギショアラ。
そのザクセン人の先祖が眠る古い墓地。
縄職人の塔
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丘の最も奥に建つのは縄職人の塔。
時計塔以外に、シギショアラ要塞に建つ塔は8つあり、この塔は最も古い塔とされている。
前述した以外には、皮なめし職人、毛皮職人、靴職人、肉屋、鍛冶屋の塔がある。
縄職人の塔
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山上教会や墓地があるこの丘は、古代ローマ時代には砦だった。
縄職人の塔は、現在は住み込みで働く、墓地の管理人の住居になっている。
丘の上からの風景
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山上教会が建つ丘の上から見下ろした、シギショアラの街並み。
西側方向、赤茶色のレンガ屋根が連なる素晴らしい風景。
丘の上からの風景
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こちらは北側の風景。
シギショアラ要塞の丘に建つ山上教会は、13世紀までに要塞の跡地に建てられた教会が基になっている。
14世紀、ハンガリー国王の文書に、シギショアラでは聖ニコラウスに捧げる教会を人々によって建設中、との記録がある。
丘の上からの風景
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北側には鉄道の線路が見えた。
ルーマニア国営のルーマニア鉄道の路線だ。
シギショアラまで、ブラショフから3時間、首都ブカレストから特急のインターシティでも5時間30分はかかる。
山上学校
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山上教会の丘を後に、下山します。
再び山上学校のそばに来ました。
現在の学校の建物は20世紀初頭のもので、主にはドイツ語学校となっている。
屋根つき木造階段
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屋根つき階段を使って丘を下ります。
山上教会からの、石造りの長い階段。
最初に屋根つき木造階段が設置されたのは17世紀中頃。
当時は300段有ったらしいが、現在は半分ほどの段数。
シュコリィ通りの風景
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屋根つき階段の石段下、山上教会への入り口から北東方向に延びるシュコリィ通りの風景。
正面は城塞都市広場。
時計塔
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シュコリィ通りから城塞都市広場へ戻り、東へ向かう。
そこに建つのは、街のシンボルとなっている時計塔。
時計塔は14世紀にシギショアラが、自治権を獲得して自由都市となった記念として、14世紀半ばに建てられた。
時計塔
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時計塔の下には要塞へと続く小路が延びている。
左の建物は、時計塔内へ入る入り口。
内部には歴史博物館が設置されている。
時計塔
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時計塔の上部、時計盤とからくり人形がある。
塔の屋根には主塔と、四隅の小塔が建つ。
塔はカラフルなタイルに覆われている。
時計塔
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時計塔の人気者、からくり人形。
機械仕掛けのからくり人形は一日4回、定時にかわゆく動く。
17世紀に、音楽と共に機械仕掛けで動く様に取り付けられた。
現在は時計技術が進んでいるスイスの時計職人の手で全自動化され、毎日正確に動いている。
時計塔
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時計塔の下の通りを歩く。
とても古めかしい風景だ。
脇には時計塔へ登る入口がある。
最上階には展望台があり、旧市街を一望できる。
シギショアラ要塞
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時計塔に続く、シギショアラ要塞の要塞門。
14世紀に入り、自由都市となったシギショアラでは旧市街を取り囲む防壁と、外との出入り口となる見張り塔が建設された。
8つ在る見張り塔は、塔の建設を負った職人組合のギルドの名前がそれぞれ付いている。
シギショアラの街
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時計塔を含めたシギショアラ要塞は小高い所に置かれていて、シギショアラの街を望む事ができる。
茶色の屋根が続く、シギショアラの旧市街風景。
トゥルヌイ通り
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要塞門をくぐって行くと、さらに古い風景が残っている。
時計塔から続くこの通りはトゥルヌイ通り。
旧市街のランドマークとなっている時計塔、裁判の自治権を象徴するものとされる。
建物は16世紀中頃までは、市議会の議事堂として使われていた。
屋根付き回廊
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通りの横には屋根付き回廊があった。
老婦人の回廊と呼ばれ、18世紀後期に設置され、雨の日や冬季に通行しやすくなっている。
近くに要塞門を守る門番の住居もある。
要塞門
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要塞門を出て振り返っての風景。
細い路地を歩けば、中世から時間が止まったままの様な錯覚になる。
カメラのファインダーをどこから覗いても、シャッターを切りたくなる。
そんなシギショアラの旧市街風景。
時計塔
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振り返っての時計塔の風景。
17世紀中頃に大火に遭い焼失、現在の建物は再建されたもの。
塔のカラフルなタイルは19世紀末、屋根の葺き替え工事の際にタイル張りにされたもの。
現在、時計塔の内部は歴史博物館となっていて、古代ローマ時代から中世にかけての、生活用品、日用品、家具などを時代ごとに展示している。
からくり人形
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広場に面してからくり人形があったが、裏側の要塞側にもあった。
こちらは時計盤の右側にある。
時間が来ると、出てきて時を告げる機械仕掛けの人形は7体あり、2面の両方の人形はそれぞれ違う。
正義や法、平和などを表した人形や、一週間の曜日に対応したローマ神話の神々など。
時計塔
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城塞都市の防衛機能を担った防壁と見張り塔。
旧市街は城壁や石畳の道など保存が良く、旧市街全体がシギショアラ歴史地区、としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
夕食
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グヤーシュと呼ばれるシチュー風の煮込み料理。
東欧諸国に広くあり、バリエーションも多い。
赤い色はトマトかと思ったらパプリカらしい。
サスキズ要塞教会
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シギショアラの街の郊外、20kほどにサスキズ村があり、サスキズ要塞教会が残る。
ハンガリー王国防衛のため、トランシルヴァニア地方に入植したドイツ系民族ザクセン人は、大聖堂の周囲を要塞とした村落を各地に建造した。
サスキズ要塞教会はその一つで、他の6か所を併せて、トランシルヴァニア地方の要塞教会群のある集落、としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。