スペイン王国(バルセロナ)
成田空港
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スペインの旅は成田空港から。
写真は今は無き、成田空港第2ターミナルシャトルシステム。
2013年で廃止された。
バルセロナの夜景
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バルセロナ空港着陸前、飛行機の窓からのバルセロナの街の夜景。
バルセロナ空港
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バルセロナに到着。
ここはバルセロナ=エル・プラット空港。
バルセロナ空港
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空港第2ターミナルビルの壁に幾何学的なモザイク画が描かれている。
これはバルセロナ出身の画家、ジョアン・ミロの作品だとの事。
カタルーニャ広場
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バルセロナ観光、まずは市内の中心地区アシャンプラへ。
ここはカタルーニャ広場。
写真の建物はバネスト・スペイン信用銀行。
現在ではイベロスター・セレクション・パセオ・デ・グラシアと言うホテルになっている。
カタルーニャ広場
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広場は市民の憩いの場となっていて、たくさんのカップルや親子連れが来ていた。
ここでは時に野外コンサートや集会なども行われると言う。
カタルーニャ広場
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当時銀行だった建物の南角の風景。
カタルーニャ広場はバルセロナ観光の中心地となっていて、ここから北側にはユネスコ世界文化遺産になっているアントニ・ガウディの作品群がいくつも残り、南には大聖堂カテドラルに代表される旧市街地ゴシック地区がある。
カサ・バトリョ
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カタルーニャ広場から北西に伸びるメインストリート、グラシア通りを700mほど行く。
これはアントニ・ガウディの作品群の一つ、カサ・バトリョ。
ガウディの作品と言っても建築した訳では無い。
元々あった住宅をガウディが極端にリフォームした。
カサ・ミラ
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カサ・バトリョからグラシア通りをさらに北西へ500m。
ガウディが設計・建築した邸宅、カサ・ミラがある。
外観は直線部分が無く、どちらかと言うと異様な雰囲気を持つ建物だ。
現在は賃貸住宅となっていて、住んでいる人がいる。
サグラダ・ファミリア聖家族教会
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カサ・ミラから北東へ1.5K、アントニ・ガウディの作品群の代表的な建造物、サグラダ・ファミリア聖家族教会が建つ。
元々はサン・ホセ教会として1882年に着工され、その後ガウディが引継ぎ、今やバルセロナの象徴のサグラダ・ファミリア。
生誕のファサード
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サグラダ・ファミリアの正面入り口ファサードは北東面、南東面、南西面に3つある。
こちらは北東面にある生誕のファサード。
イエス・キリストの誕生を表した彫刻が残る。
生誕のファサード
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生誕のファサードには入り口扉が3つあり、中央扉をイエスを表す慈愛の扉、左扉を父ヨセフを表す希望の扉、右扉を母マリアを表す信仰の扉と言う。
ガウディが建築にその生涯を捧げたサグラダ・ファミリアだが、生前には完成しなかった。
現在も建築は続いていて、2026年完成を目指している。
生命の木
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生誕のファサード、中央の扉、慈愛の扉の上にある生命の木の彫刻。
イトスギに集まるハトを描いている。
イトスギは永遠の命を表し、集まるハトは信者を意味している。
イトスギの下部は天国への階段。
聖母マリアの戴冠式
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生命の木の彫刻の下にあるのが聖母マリアの戴冠式の彫刻。
中央のイエスから冠を授かる右の聖母マリアと、左側の腰をかがめているのは夫ヨセフ。
受胎告知
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聖母マリアの戴冠式の彫刻の下にあるのが受胎告知の彫刻。
三大天使の一人、ガブリエルによる処女聖マリアへのイエスを授かった事のお告げ。
その下の星はベツレヘムの星。
東方の三賢人にイエスの生誕を知らせ、生誕の地ベツレヘムへ導いたとされる星。
天使の聖歌隊
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受胎告知の彫刻の下にあるのが天使の聖歌隊の彫刻。
楽器を奏で合唱する天使の数は15体。
日本人彫刻家、外尾悦郎さんの作品で知られる。
イエスの誕生
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天使の聖歌隊の彫刻の下、慈愛の扉前に建つのがイエスの誕生の彫刻。
リンゴをくわえた蛇の彫刻が下部にあるイエスの柱の上にある。
生まれたばかりのイエスを抱くマリアと、見守るヨセフの像。
羊飼い達の来訪
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慈愛の扉、イエスの誕生の彫刻の右側にあるのが羊飼い達の来訪の彫刻。
天使達から救い主の降誕を知らされた羊飼いが、ベツレヘムを訪れ、家畜小屋の飼い葉桶に眠るイエスを見つけた時の彫刻。
東方三賢人の来訪
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慈愛の扉、イエスの誕生の彫刻の左側にあるのが東方三賢人の来訪の彫刻。
ベツレヘムの星に導かれた東方三賢人が、家畜小屋にいたイエスに宝の箱から没薬、乳香、黄金を贈った。
聖燭祭
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生誕のファサードの右側にあるのが信仰の扉。
その扉の上部にシメオンに抱かれるイエスの彫刻がある。
この場面はマリアとヨセフがエルサレムの神殿にイエスを連れて来て、聖シメオンに抱き上げられている所。
この出来事があった日を聖燭祭と呼び、ローマ・カトリック教会では祝日となっている。
神殿で説教しているイエス
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イエスが神殿内で説法や討論を行っている場面。
中央がイエス、左は洗礼を受けたヨハネ、右はヨハネの父、聖ザカリヤ。
右下では説法をするイエスを見上げて、驚嘆するマリアとヨセフの彫刻がある。
マリアとヨセフの結婚式
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変わってこちら側は希望の扉、生誕のファサードの左側にある。
その上部にあるのがマリアとヨセフの結婚式の彫刻。
中央の司祭の前で手を握り合うマリアとヨセフ。
ヨセフとイエス
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マリアとヨセフの結婚式の下にあるのがヨセフと話をするイエスの彫刻。
左右で見守るのが、左の祖母アンナと右の祖父ヨアキム。
幼児虐殺
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東方三賢人がベツレヘムへの途中、ユダヤ王国のヘロデ大王を訪れた。
大王は三賢人から、新たにユダヤ人の王となる子が生まれたと聞かされる。大王は将来自分の身を脅かす者が誕生した事に怯え、殺害を企てる。どの子なのか判らなかった大王はローマ兵にベツレヘムと周辺にいた2才までの男児を一人残らず殺させた。
彫刻は殺害するローマ兵と抵抗する母親の場面。
エジプトへの逃避
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ヨセフの夢の中に天使が現れてこう言った。
ヘロデ大王が幼子を殺しに来る。家族一緒にエジプトに逃げ、そこに留まる様に。
彫刻は、お告げを受けてエジプトへ逃げる、ロバに乗ったイエスを抱くマリアとヨセフ達一行。
受難のファサード
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こちらは入り口ファサードの内、南西面にある受難のファサード。
生誕のファサードと対照的に、彫刻も少なく、シンプルなファサードとなっている。
イエスの十字架磔刑
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受難のファサードではイエスの最後がテーマ。
この彫刻は磔にされ亡くなったイエスの彫刻。
受難のファサードの彫刻群は現在アート的な、デフォルメされたデザインになっている。
ベールを持つ聖ベロニカ
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右は十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩くイエス。
中央は汗を拭く様にイエスに貸し出したベールを広げる聖ベロニカ。
拭いた後のベールにはイエスの顔が浮かび上がると言う奇跡が起きた。
尖塔
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受難のファサードから見上げた尖塔。
十二使徒の塔と呼ばれ、各ファサードごとに4本、計12本建つ予定。
サグラダ・ファミリア全体では18本の塔が建設される。
グエル公園
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サグラダ・ファミリアを離れ、北西へ2Kほど行くとアントニ・ガウディの作品群の一つ、グエル公園がある。
元々は芸術的な設計で取り組んだ分譲住宅。
グエル公園
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入り口から奥の建物の風景。
グエル公園のグエルとは施主だったグエル伯爵の事で、ガウディと二人で自然との調和を夢見て未来都市を建設しようとした。
グエル公園
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入り口の左右には2つの建物が建つ。
写真は左手に建つ管理事務所。
左には守衛小屋が建つ。
両方ともメルヘンチックな造りで、お菓子の家と呼ばれている。
グエル公園
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入り口のお菓子の家から奥へは大階段として知られる左右対称の階段が設置されている。
両階段の間には噴水やモニュメントが設置されている。
グエル公園
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大階段の左手にはショップがあり、カフェ・レストランのテラス席が置かれている。
グエル伯爵はガウディと共にバルセロナの郊外の広大な地に富裕層向け分譲住宅60邸の建築を始めた。
グエル公園
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大階段の第一の噴水。
大階段の最下段にある噴水では岩石と色々な草木が植栽されている。
グエル公園
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大階段の第二の噴水。
円形のオブジェが設置され、その中央にはヘビが突き出ている彫刻がある。
グエル公園
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大階段の第三の噴水。
階段の噴水の中で一番有名なのが、グエル公園のシンボル的なトカゲの噴水。
口から水を出しています。
ただ、見た目にはカメレオンだった。
グエル公園
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大階段の第四の噴水。
大階段の最上段にある噴水には第二の噴水にあったヘビのしっぽの部分のオブジェが設置されている。
グエル公園
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大階段を上り詰めると立柱が建ち並ぶ広々としたエリアがある。
ここは市場と呼ばれ、住居者のためのマーケットが置かれる予定だった。
この立柱の内部には水管が設置されており、屋根に降った雨水を通し大階段にある噴水へと水を導く様に設計されている。
グエル公園
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ギリシャ神殿をモチーフにした市場は、現在広々としたホールになっていて、この日はアマチュア演奏家達の楽器演奏が行われていた。
グエル公園は前述したサグラダ・ファミリアやカサ・バトリョ、カサ・ミラなどと共にアントニ・ガウディの作品群としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
グエル公園
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石柱の回廊。
ゴツゴツとした石材を柱の建材に利用した石柱が続く回廊。
石柱の一つに洗濯物を頭にのせた女性の像がある事から洗濯女の回廊と呼ばれている。
グエル公園
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グエル伯爵が始めた都市計画も、余りの斬新さもあって購入者は現れなかった。
やがて資金難になり、2邸を完成させたところで工事は中止された。
その2邸をそれぞれ購入したのがグエル伯爵とガウディだった。
グエル伯爵の没後、市に売却され、現在では市民はもちろん観光客にも、とても人気の公園となっている。
モンジュイック地区
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アシャンプラ地区から市の南西にあるモンジュイック地区を観光。
まず市内を展望できるモンジュイックの丘に上ります。
モンジュイックの丘
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モンジュイックの丘から北東方向の風景。
モンジュイックの丘の頂上にはモンジュイック城と言う要塞跡が残り、そこから見る市内の風景は格別だ。
モンジュイックの丘
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こちらは北側、アシャンプラ地区方向の風景。
左奥にはサグラダ・ファミリアの尖塔が見える。
モンジュイックの丘
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こちらは東側、ベイ・エリアの風景。
中央には国際フェリーの埠頭が、その奥には旧港を再開発したポルト・ベイが見える。
ポルト・ベイは後ほど参ります
モンジュイックの丘
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北東、ポルタル・デ・ラ・パウ広場の風景。
中央は海洋博物館、その奥は港湾局の古い建物。
左の塔はコロンブスの記念塔。
オリンピック・スタジアム
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モンジュイック城要塞跡からモンジュイックの丘を少し下る。
ここはエスタディ・オリンピック・リュイス・コンパニスと言う多目的スタジアム。
1992年バルセロナ五輪のメインスタジアムとなった。
オリンピック・スタジアム
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オリンピック・スタジアムの聖火台。
このスタジアムは元々1929年の万国博覧会のために建てた。
プロサッカーやプロアメフトの会場でもある。
タベルナ
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昼食です。
レストランの看板にタベルナとある。
タベルナはイタリアやギリシャでレストランの意味だった。
調べると元々TAVERNAはラテン語との事で、旧ラテン語圏のスペインでもレストランを意味していた。
タベルナ
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メインディッシュはシーフード。
サーモンのグリル、ピーマンソース掛け。
ゴシック地区
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次はバルセロナ観光の魅力がたっぷり詰まった旧市街、ゴシック地区に向かいます。
バスの車窓からの風景。
中央の塔はポルタル・デ・ラ・パウ広場に建つコロンブスの記念塔。
その右は海洋博物館。
モンジュイックの丘からも見えました。
プルタル・デ・ランジェル通り
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再びカタルーニャ広場へ戻り、広場の東から南東に延びるプルタル・デ・ランジェル通りを歩く。
通りの南東方向の風景。
塔はエル・コルテ・イングレス・デパート。
裏路地ムンツィオ通り
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プルタル・デ・ランジェル通りから脇道へ入ります。
ここは北東へと延びるムンツィオ通り。
裏路地感のある細い通りだ。
パサッジエ・デル・パトリアルカ
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ムンツィオ通りから通りの一つ、パサッジエ・デル・パトリアルカへの鉄格子のある三つ角の風景。
ゴシック地区は14世紀頃、外敵からの侵略から守るため城塞都市を築いた旧市街が起源。
ダリ美術館
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プルタル・デ・ランジェル通りを南に下ると、ククルリャ通りとアルクス通りに分岐する広場に出る。
正面の建物はロイヤル・アーティスティック・サークルと言うダリの作品を集めているダリ美術館。
聖アンナ噴水
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ダリ美術館の北側に聖アンナ噴水と呼ばれる14世紀中頃に造られた古い公共の水飲み場。
天使の像
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ダリ美術館の壁には天使の像が置かれていた。
カタルーニャ広場からサンタ・エウラリア大聖堂へと続くゴシック地区の通りにはいくつかの天使の像が置かれている。
そのため、この辺りの通りを天使の門の通りと呼ばれる。
アルクス通り
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ダリ美術館から南東へと伸びる細い通り、アルクス通りの風景。
ゴシック地区の裏通りの路地は石畳の細い通りが続き、ゆっくりと雰囲気を感じながら歩くのには最適だ。
プラサ・ノバの城壁跡
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アルクス通りを行き着くとプラサ・ノバと呼ばれる広場に出る。
広場南東側には14世紀頃の古い城壁の跡が残る。
写真右の丸い塔はかつての城塞都市への入り口の門の跡。
水道橋跡
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プラサ・ノバに残る城塞都市時代の水道橋跡。
かつてプラサ・ノバはラ・ボケリアと呼ばれる巨大な公設市場の一部だった。
サンタ・エウラリア大聖堂
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次の観光はサンタ・エウラリア大聖堂へ。
プラサ・ノバの北東地点から見た大聖堂の風景。
サンタ・エウラリア大聖堂
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サンタ・エウラリア大聖堂の北西に面しているプラサ・ノバからの、大聖堂正面入り口ファサードの風景と筆者近影。
サンタ・エウラリア大聖堂
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花壇の花もきれいな大聖堂のファサード風景。
バルセロナにある大聖堂の内、大聖堂カテドラルと言えば、このサンタ・エウラリア大聖堂を指す。
サンタ・エウラリア大聖堂
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大聖堂のファサード風景。
サンタ・エウラリア大聖堂はバルセロナの教会の中でも最も古い歴史を持ち、4世紀ごろにはこの場所に初代の教会が建てられた。
サンタ・エウラリア大聖堂
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大聖堂のファサード前ではストリート・ミュージシャン達が色々な演奏や歌を披露しています。
これから大聖堂の中へ入ります。
サンタ・エウラリア大聖堂
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サンタ・エウラリア大聖堂の聖堂内です。
正面が中央祭壇で、その地下には守護聖人、聖女エウラリアが埋葬されている。
サンタ・エウラリア大聖堂
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10世紀後半に後ウマイヤ朝により破壊され、11世紀に再建された。
現在の大聖堂はアラゴン王国時代の13世紀末に建て替えが始まり、150年掛けて建てられた。
その後も度々改装され、正面ファサードは1888年のバルセロナ万国博覧会開催を機に改装された。
サンタ・エウラリア大聖堂
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聖堂内の壁の窓には美しいステンドグラスが設置されている。
宗教画をモチーフにしたものや幾何学模様など様々。
ついつい見入ってしまいます。
サンタ・エウラリア大聖堂
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聖堂内には観光客以外に多くの信者の方々が礼拝に来られていて、真剣にお祈りを捧げていた。
カトリック教徒だったエウラリアは4世紀初頭、ローマ帝国によるローマ神への信仰強要とキリスト教迫害によって処刑された。
14歳で殉教した彼女は死後バルセロナの守護聖人となり、現在では教会の名や通りの名前となって伝わっている。
聖ルシア礼拝堂
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再びプラサ・ノバから南東へと散策。
ローマ塔の裏側、南東にあった古そうな聖ルシア礼拝堂。
ゴシック地区はバルセロナの旧市街の中でもとても古い地区。
ビズべ通り
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聖ルシア礼拝堂の南側を南東に伸びる石畳の道、細く重厚な雰囲気のビズべ通りの風景。
通りの北東はサンタ・エウラリア大聖堂が建つ。
ガリーガとバッハ広場
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ビズべ通りを進むと右手にサン・セベ通りと分岐する三差路に出る。
その一角にガリーガとバッハ広場と呼ばれる、ちょっとした広場があった。
広場にはスペイン独立戦争殉国者の碑が置かれ、壁には天使のレリーフが飾られ、5人のブロンズ像が建つ。
ビスべ橋
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ビズべ通りに架かるビスべ橋。
サンタ・エウラリア大聖堂と向かいの建物をつないでいる。
司教が使ったと言われ、司教の橋とも呼ばれる。
ストリート・ミュージシャン
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ビズべ通りで見かけたストリート・ミュージシャン。
古い建物が残り、中世の雰囲気が漂うゴシック地区。
ズグラッフィートの壁画
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ビスべ橋の手前を左に折れる小道があり、そこの建物の壁には綺麗な壁画が描かれていた。
これは壁の漆喰の表面を削り落として描く技法、ズグラッフィートで描かれている。
王の広場
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ピエタト通りを北東へ進み、サンタ・エウラリア大聖堂の裏手を通り、コンテス通りを抜けると王の広場と呼ばれる広場に出る。
とても古そうな石造りの建物が周りを囲む。
正面はかつての王宮、右側は王室の礼拝堂、サンタ・アガタ礼拝堂。
石階段はコロンブスが王に謁見する際に上った階段として知られる。
グルニ通り
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王の広場から東へ向かう。
東西に伸びるアルジェンテリア通りから細い路地、グルニ通りにある渡り廊下の下からの風景。
スンブレレス通り
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更にアルジェンテリア通りを東へ行くとサンタ・マリア・ダル・マル教会にたどり着く。
教会の西側通り、スンブレレス通りの風景。
サンタ・マリア広場
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サンタ・マリア・ダル・マル教会の南側にはサンタ・マリア広場があり、その広場の風景。
サンタ・マリア・ダル・マル教会の建設時期ははっきりせず、古代ローマ時代の劇場跡に建てられたとされる。
ボルン・カルチャーセンター
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サンタ・マリア・ダル・マル教会のサンタ・マリア広場から北東へボルン通りが延びており、北東へ突き当たるとボルン・カルチャーセンターと言う18世紀初頭の遺跡がそのまま保存されている建物へでる。
ボルン・カルチャーセンター南西にある広場のカフェ風景。
フランサ駅
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ボルン・カルチャーセンターからクメス通りを南東へ向かう。
ここはフランサ駅。
その駅正面の風景。
フランサ駅
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フランサ駅のプラットホームの風景。
出発を待つ長距離列車。
フランサ駅はスペイン国鉄のターミナル駅の一つで、国内への中近距離列車が多数発着する。
フランサ駅駅
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フランサ駅は1848年開業と言う歴史ある駅で、長い間バルセロナの中央駅として使われてきた。
建物は1929年のバルセロナ万国博覧会開催を機に建て替えられた。
フランサ駅駅
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バルセロナの中央駅は、現在では高速鉄道AVEやパリなどへの国際列車が乗り入れるサンツ駅に取って代わられている。
フランサ駅とサンツ駅は近郊列車でつながっている。
フランサ駅駅
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フランサ駅のプラットホームの風景。
始発・終着駅らしく、行き止まりの駅となっていいる。
シウタデリャ公園
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フランサ駅から駅前通りのマルケズ・デ・ラルジェンテラ通りを北東へ向かう。
ここはシウタデリャ公園。
かつての要塞跡地で、1888年のバルセロナ万国博覧会の会場となった。
ポルト・ベル
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シウタデリャ公園から東へ向かうと海に出る。
バルセロナのウォーターフロント、ポルト・ベル地区だ。
ポルト・ベル
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ポルト・ベル地区の以前は昔のバルセロナ港で、港湾の機能の変化で荒廃が進んでいた。
その旧港をウォーターフロントとして、観光目的に再開発した。
ポルト・ベル
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ポルト・ベルの埠頭に建つレロッジ・バルセロネータの塔と呼ばれる古い灯台で、時計台でもある。
現在はモニュメントとして残り、灯台の機能は無い。
ポルト・ベル
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ポルト・ベルにはフェリーの埠頭もあり、マヨルカ島行きの高速フェリーが運航されている。
写真は停泊中の高速フェリーBUQUEBUS。
ポルト・ベル
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おびただしい数のヨットが停泊するポルト・ベルのヨットハーバー風景。
現在のポルト・ベルはショッピング・センター、映画館、水族館などのレジャー施設・アミューズメント・スポットにおしゃれなカフェ、レストランが建ち並ぶ、一大観光地となっていて、たくさんの市民や観光客が訪れる。
ポルト・ベル
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ポルト・ベルからの風景。
左手前は昔の古い建物を利用している郵便局、右奥は大学。
ランブラス通り
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ポルト・ベルを後に、カタルーニャ広場へ戻ります。
戻りはコロンブスの記念塔の建つポルタル・デ・ラ・パウ広場から北西へ延びるランブラス通りを散策します。
写真は通りに出ていた露天商の店。
ランブラス通り
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こちらは似顔絵のお店。
この一画は似顔絵店や絵画の露店が集まっている。
ランブラス通り
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何かと思えは、ぬいぐるみをまとった路上パフォーマー、大道芸人だ。
ランブラス通りはバルセロナの通りでも代表的な大通りで、カタルーニャ広場まで1.2kの大通りで、中央に広々とした歩行者道路が敷かれている。
ランブラス通り
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こちらも路上パフォーマー。
全身に白塗りを施し、白いギターを弾いていた。
他にも子犬に芸を覚えさせ、輪くぐりをさせているパフォーマンスもあった。
ランブラス通り
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こちらはドン・キホーテの格好をしてピクリとも動かない路上パフォーマー。
スタチューと呼ばれる像に成り切る大道芸人。
周囲にはカフェやレストランも多く、市民がたくさん出て来ていた。
レイアール広場
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ラカタルーニャ広場までの途中、ランブラス通りの北東側のビルの間に通路があり、その奥に広場があった。
周囲を回廊の様な建物に囲まれ、中央に噴水が置かれたレイアール広場だ。
レイアール広場
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ここは元々修道院だった場所で、回廊の様な建物はその跡地。
ヤシの木が立つ、他とはムードの異なった広場。
カンパニール・ホテル