スペイン王国(グラナダ)
グラナダ
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スペイン、アンダルシア地方のグラナダ。
ここの最大の見所は、アルハンブラ宮殿。
ここは南側にある入り口の門、車の門。
アルハンブラ宮殿
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アルハンブラ内にあるカルロス5世宮殿。
カルロス5世一族の邸宅として建てられた。
写真は円形の中庭の風景。
アルハンブラ宮殿
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アルハンブラ宮殿の代表的な景観、アラヤネスの中庭、パティオから見たコマレス宮の風景。
アラヤネスの中庭には南北に長い池が造られている。
アルハンブラ宮殿
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アラヤネスの中庭の風景。
7世紀ごろ、北アフリカのイスラム教徒ムーア人が海を渡り、イベリア半島にやって来てアンダルシア地方に定着した。
この地にムーア人の王朝を築き、赤い丘と呼ばれた丘の上に石壁を築いた。
アルハンブラ宮殿
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コマレス宮の南側列柱の風景。
9世紀、コルドバを都としていたウマイヤ朝、その時代に城塞化し、砦アルカサバを築いた。
現在、この砦跡はアルハンブラ宮殿の西の外れに残る。
アルハンブラ宮殿
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アラヤネスの中庭の風景。
11世紀ウマイヤ朝滅亡、13世紀グラナダを都とするナスル王朝が興る。
ナスル王朝時代に入り、それまで城塞だったアルハンブラ内にコマレス宮、ライオン宮など多くの建造物が100年の間、各歴代の王によって建てられ、城塞都市へと変貌していく。
アルハンブラ宮殿
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アラヤネスの中庭と北側のコマレスの塔の風景。
14世紀末期、キリスト教による侵略が始まり、15世紀末期グラナダは陥落する。
ナスル王朝最後の王、ムハンマド11世ボアブディルはアルハンブラ宮殿を明け渡し、ナスル王朝は滅亡する。
アルハンブラ宮殿
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コマレス宮の内部、大使の間の風景。
高い天井とモザイク模様のタイル装飾の壁は必見。
イスラムのナスル王朝時代に建てられた。
アルハンブラ宮殿
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タイル装飾の壁。
ローマ皇帝であり、スペイン国王となったカルロス5世によりアルハンブラ宮殿は避暑地となり、彼の邸宅カルロス5世宮殿がこの時代に建てられた。
その後、ナポレオンの侵攻やスペイン内戦など幾度の動乱にさらされ、一時荒廃したが、破壊される事無く、現在ではスペイン有数の観光地となっている。
アルハンブラ宮殿
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コマレス宮の東側に建つライオン宮。
アルハンブラ宮殿は丘の上に建てられ、周囲を城壁で囲まれ、中には4つの王宮や神学校メドレッセ、教会モスク、市場や住居などが建つ、一つの都市機能を持った城塞。
アルハンブラ宮殿
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ライオン宮の中庭。
中央には噴水が置かれ、ライオンの石像が12体、噴水の水盤を支えている。
このライオン像が名前の由来となっている。
アルハンブラ宮殿
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ライオン宮内から見た中庭の風景。
ライオン宮は中庭を中心に、周囲を回廊が四角く囲んでいる。
回廊を支えるたくさんの柱が印象的だ。
アルハンブラ宮殿
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サンタ・マリア・デ・ラ・アルハンブラ教会の尖塔。
カルロス5世宮殿の南東に建つ。
17世紀ごろ、モスクを改修して教会とした。
アルハンブラ宮殿
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ここはパルタル庭園。
サンタ・マリア教会の北東に位置する。
正面の建物はイスラム時代の貴族の邸宅、ハーレムの館だった。
建物の左の塔は貴婦人の塔。
アルハンブラ宮殿
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アルハンブラ宮殿は丘の上に建つ。
そのため、市内の眺望も良く、グラナダ市内を見下ろす事ができる。
右の丘はサクロモンテの丘。
アルバイシン
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アルハンブラ宮殿から見渡せるグラナダの街。
アンダルシア地方特有の白壁と茶色の屋根に統一された美しい家並みが続くこの一帯をアルバイシン地区と呼ぶ。
アルバイシン
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サクロモンテの丘、西側の丘陵、グラナダで古い街並みが残るアルバイシン地区。
もとはイスラム教徒のムーア人達が移り住み、築いた街。
アルバイシン
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キリスト教などの異教徒の侵略を防ぐため、方向が判らなくするために道は細く入り組んだ迷路の様になっている。
アルバイシン
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アルハンブラ宮殿からのアルバイシン地区の風景。
イスラムの旧市街、アルバイシンはグラナダのアルハンブラ、ヘネラリフェ、アルバイシン地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
アルバイシン
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アルバイシン地区にあるこの教会はサン・サルバドール教会。
16世紀にモスクの跡地に建設された教会。
アルバイシン
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中央の白い塔を持つ建物はサン・ニコラス教会。
アルバイシン地区の高台に建つ教会の前はアルハンブラ宮殿を一望できるサン・ニコラス展望台があり、人気のスポットとなっている。
ヘネラリフェ
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次はヘネラリフェ。
アルハンブラ宮殿の東に深い谷、チノス坂があり、その谷を挟んだ対面の丘、太陽の丘に建つ。
ヘネラリフェは14世紀初め、ナスル王朝ムハンマド3世の夏の離宮として建てられたイスラム建築。
ヘネラリフェ
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ヘネラリフェを守る城塞と城壁の風景。
ヘネラリフェはアルハンブラ宮殿と谷を挟んで別の丘にあり、アルハンブラ宮殿の城壁の外にある。
ヘネラリフェ
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ヘネラリフェの中庭、パティオの風景。
パティオとは、スペイン風の中庭の事で、宮殿はもちろん、一般住宅でも見られる様式。
タイル張りや小石が敷き詰められ、噴水を配置した形式が多い。
ヘネラリフェ
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ヘネラリフェのタイル張りのパティオにて筆者近影。
低木の植栽でアーチを造っている。
ヘネラリフェ
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ヘネラリフェ、アセキアの中庭、パティオの風景。
ヘネラリフェはグラナダのアルハンブラ、ヘネラリフェ、アルバイシン地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ヘネラリフェ
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中庭の細長い池と噴水はアンダルシアの暑い夏を涼しく過ごせる様に、わざわざシェラ・ネバダ山脈から水路を引いた雪解け水だそうだ。
ヘネラリフェ
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ヘネラリフェからアルハンブラ宮殿の風景。
右手はコマレス宮やカルロス5世宮殿、左手はパルタル庭園とその奥のサンタ・マリア教会の尖塔。
グラナダ焼
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アルバイシン地区のお土産屋、グラナダ焼きの店。
ムーア人が持ち込んだイスラムの伝統工芸の陶器。
藍色や深緑の彩色が特徴。
洞窟タブラオ
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ナイトショーはフラメンコのライブショーを楽しみます。
ここはサクロモンテの丘にある洞窟タブラオ。
タブラオとはフラメンコの踊りを楽しみながら食事やお酒を頂けるライブハウスの事。
洞窟タブラオ
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洞窟タブラオの中の風景。
ジプシーであった流浪の民ロマの人達が流れ着いたのがサクロモンテの丘。
ロマの人達は丘の斜面に穴を掘って暮らした。
現在、その洞窟住居を改装して洞窟タブラオにしている。
洞窟タブラオ
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南アジア辺りから移動してきたロマ族がアンダルシア地方に持ち込んだ舞踊と音楽がフラメンコのルーツと言われる。
この洞窟タブラオは踊り子さんとの距離がとても近くて、感動を間近で感じられる。
洞窟タブラオ
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女性の踊り手さんをバイラオーラ、男性の場合はバイラオールと呼ぶ。
ギター演奏をトケ、歌をカンテと呼び、女性の歌い手をカンタオーラ、男性の歌い手をカンタオールと呼ぶ。
洞窟タブラオ
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おチビちゃんも飛び入り参加。
練習かな。
ロマ族が暮らす洞窟住居は冬は暖かく、夏は涼しい、居心地の良い住居だそうだ。
洞窟タブラオ
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先程のおチビちゃんも衣装に着替えて、れっきとしたバイラオーラとして踊りを見せてくれた。
洞窟住居はタブラオ以外のも生活の様子や調度品、工芸品などを展示する博物館として公開している所もある。
洞窟タブラオ
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踊りだけではなく、ギターのソロ演奏の披露もあった。
アルハンブラ宮殿の夜景
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アルバイシンの展望台からアルハンブラ宮殿の夜景。
アラビア語で赤い城の意味を持つイスラム様式の宮殿、夜はライトアップされていてとても綺麗だ。
ホテル・アリクサレス
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筆者が宿泊したホテル・アリクサレス。
アルハンブラ宮殿の南東に位置する。
ホテルからのアルハンブラ宮殿
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ホテル・アリクサレスからのアルハンブラ宮殿の風景。
アルハンブラ宮殿はグラナダのアルハンブラ、ヘネラリフェ、アルバイシン地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。