スペイン王国(コルドバ)
シエラ・ネバダ山脈
1/59
スペイン、アンダルシア地方の旅はグラナダからコルドバへと向かいます。
途中の車窓から東側に雪山が見えた。
万年雪が残るシエラ・ネバダ山脈だ。
スキー場もあり、グラナダからスキー客が訪れる。
アルカラ・ラ・レアル
2/59
グラナダから40kほど北西へ向かう。
途中、アルカラ・ラ・レアルの街を通過。
写真は丘の上に建つモタ城。
イスラム教ムーア人の城塞跡。
アルカウデテ
3/59
アルカラ・ラ・レアルから北西へ20k。
ここはアルカウデテの街。
イスラムの時代に築かれた街。
街の中心、岩山の上に建つアルカウデテ城。
バエナ
4/59
さらにアルカウデテから西へ20k。
立ち寄ったバエナの街。
街の北西にあるカニャーダ公園から街の中心方向の風景。
最も高い場所に建つサンタ・マリア・ラマヨール教会、その右はサンバルトロメ教会。
バエナ
5/59
スペインはオリーブオイルの生産が世界一。
そのスペインの中でもアンダルシア地方は世界最大の産地となっている。
カニャーダ公園にて筆者近影。
バエナ近郊
6/59
バエナの郊外の風景。
丘陵地帯一面オリーブ畑。
バエナ地域はオリーブの一大生産地となっている。
カストロ・デル・リオ
7/59
バエナから15kほど北西にあるカストロ・デル・リオの街。
街の南にグアダホス川が流れ、街は丘陵地帯にある。
街の中心、イグレシア広場に建つアスンシオン教会。
聖母被昇天信仰を集める教会で、13世紀にイスラムのモスクを改装して建てられた。
アンダルシア地方
8/59
丘陵地帯とオリーブ畑、小さい町。
アンダルシア地方の牧歌的な風景が広がる。
エスペホ
9/59
カストロ・デル・リオから西へ10k。
エスペホの街を通ります。
左はエスペホの城塞跡、右はサンバルトロメ教会。
この街は写真家ロバート・キャパの名作、スペイン内戦時に撮影された、崩れ落ちる兵士の写真が撮られた場所として知られる。
コルドバ
10/59
エスペホの街からサンタ・クルスを経由してコルドバへ。
ここはユダヤ人街と呼ばれるコルドバの古い地区。
ユダヤ人街
11/59
アンダルシアの強い日差しを避ける白い家々が続くユダヤ人街。
8世紀に興ったイスラムのウマイヤ朝の庇護を受け、コルドバの経済を支えてきたユダヤの人達が暮らしていた。
ユダヤ人街
12/59
通りや小さな広場にはお土産のお店が数多く出ていた。
15世紀末、キリスト教勢力によってコルドバは支配される。
イスラム勢力が追い払われると同時にユダヤ人達も追放され、街並みだけが残った。
ユダヤ人街
13/59
ショップの番犬かな。
ジャーマン・シェパードにワザとサングラスを掛けさせている。
花の小径
14/59
迷路の様に入り組んだ小路に、白い壁や石畳に美しい鉢植えの花が飾られている。
ユダヤ人街の中でも特にこの辺りの通りを花の小径と呼ばれ、観光スポットになっている。
突き当りに見える高い塔はメスキータの尖塔。
これから観光します。
花の小径
15/59
コルドバの郷土料理を味わえるレストラン。
ブルラエロとあるが、直訳すると笑い物のレストランとなるのだが。
闘牛士の絵を飾っているが、闘牛士たちが足しげく通う常連さんの店なのだそうだ。
花の小径
16/59
アルテサニア・コルドバとある。
アルテサニアとは工芸品の事で、この民芸品店は陶器の絵皿や絵付けの壺など、伝統工芸品を扱う店だ。
買わずとも店内を見て回るだけで美しい工芸品の鑑賞ができると言うものだ。
花の小径
17/59
花の小径は写真スポットとして人気で、観光客を虜にしている。
ユダヤの人達が残したウマイヤ朝の歴史遺産のユダヤ人街はコルドバ歴史地区の一つとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ユダヤ人街
18/59
ここはユダヤ人街の一画にある広場、マイモニデス広場。
ユダヤの人達が建てたイスラム時代の建物が残る。
この一画に現在は闘牛博物館もできているらしい。
メスキータ
19/59
ユダヤ人街の南側に来ました。
ここはメスキータと呼ばれるカトリック教会の大聖堂とともにイスラムのモスク。
メスキータ西側、トリホス通りから北側の風景。
メスキータ
20/59
メスキータ西側、トリホス通りから通りの南側の風景。
中央はローマカトリック教会。
これから北側にある入り口から中へ入ります。
メスキータ
21/59
メスキータ西側の対面に建つこの建物は、16世紀に建てられたサン・セバスチャン病院の正面ファサード。
現在は会議場や観光案内所として使われている。
メスキータ
22/59
メスキータの中に入りました。
入り口の門は免罪の門。
門の前はオレンジの木が植えられたオレンジの中庭がある。
イスラム教の礼拝者が中庭の池で沐浴を行い、身を清めた。
メスキータ
23/59
入り口、免罪の門の脇に建つミナレット。
イスラム時代は礼拝を呼びかけるアザーンを流していた。
現在は尖塔として釣り鐘が設置されている。
メスキータ
24/59
オレンジの中庭からのミナレットの風景。
この塔はアルミナールの塔とも呼ばれる。
これから聖堂内へ入ります。
メスキータ大聖堂
25/59
メスキータの聖堂内の風景。
メスキータは8世紀後半、イスラム王朝、ウマイヤ朝の初代君主アブド・アッラフマーンⅠ世が建てたモスク。
3回にわたって拡張された。
メスキータ大聖堂
26/59
メスキータの聖堂内の風景。
コルドバがキリスト教勢力によって支配されると、教会に改修され礼拝堂などが新設された。
メスキータはキリスト教では聖マリア大聖堂と呼ばれる。
メスキータ大聖堂
27/59
白地に赤のストライプが入ったアーチと円柱の柱が並ぶ、ここは円柱の森と呼ばれる礼拝の間。
赤色部分はレンガで、白色部分は石灰岩で、円柱は大理石で建てられている。
縞模様の美しいアーチが立ち並ぶ、幻想的な景観を創っている。
メスキータ大聖堂
28/59
礼拝の間にあるミフラーブ。
ミフラーブとはイスラム教徒が礼拝をする際に、メッカのカーバ神殿の方向を示す、目印のくぼみの事。
メスキータはキリスト教とイスラム教が融合した大聖堂だ。
メスキータ大聖堂
29/59
ミフラーブの上の天井、ドームの天蓋の風景。
金色の地に紺色の彩色をしたドーム型の天井がある空間はマスクラと呼ばれる。
メスキータ大聖堂
30/59
重厚で巨大なパイプオルガン。
聖堂内の中央には聖歌隊の席があり、その左右にパイプオルガンが置かれている。
聖歌隊の皆さんが賛美歌を歌われる時に演奏されるのだろう。
メスキータ大聖堂
31/59
メスキータの礼拝堂の風景。
とても神々しい雰囲気を持っている。
礼拝堂に飾られている宗教画も一見の価値がある。
メスキータ大聖堂
32/59
礼拝堂の風景。
天井の美しい装飾を眺める観光客の人たち。
メスキータはコルドバ歴史地区の一つとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
サン・ラファエル勝利記念像
33/59
次はメスキータの南にあるローマ橋の観光へ。
このモニュメントはサン・ラファエルの像。
ローマ橋への途中、トリウンフォ広場の西に建つ。
サン・ラファエルはコルドバの守護聖人で、中世にペストが大流行し、それに打ち勝った記念に建てられた。
ローマ橋
34/59
トリウンフォ広場に建つのはブエンテ、橋の門。
元々はコルドバの街の城壁の門で、16世紀に建て替えられた。
ローマ橋
35/59
トリウンフォ広場を抜けるとイササ通りにでる。
ここはグアダルキビール川と川に架かるローマ橋。
イササ通りからの南東方向、ローマ橋の下流の風景。
ローマ橋
36/59
グアダルキビール川に架かるローマ橋。
グアダルキビール川はシエラ・ネバダ山脈系からの流れを集め、アンダルシア地方を流れる。
ローマ橋の渡った先に建つのがカラオーラの塔。
ローマ橋
37/59
ローマ橋を橋のたもと、上流側からの風景。
橋脚の基部は下流側と異なり、船首の形に鋭く尖った形に造られている。
これはグアダルキビール川が度々洪水を起こすため、流れによる洗掘防止のためだろう。
ローマ橋
38/59
これからローマ橋を渡ります。
正面にあるのがカラオーラの塔。
流れるグアダルキビール川はコルドバを流れた後、下流域ではセビリアを流れる。
ローマ橋
39/59
ローマ橋から北東、グアダルキビール川の上流方向の風景。
当時は無かったが写真の方向、ローマ橋の北東に現在は近代的な橋、ミラフローレス橋が架けられている。
ローマ橋
40/59
ローマ橋の下流方向の川の中州に朽ちた様な、とても古い建物が残っていた。
これは川の流れを利用した水車小屋で、小麦の製粉かオリーブの搾油を行っていた、との事。
ローマ橋
41/59
川岸に建つこの古い建物も水車小屋。
これはサンアントニオの製粉所。
入り口に置かれていた聖アントニオの彫刻から後に呼ばれる様になった。
ローマ橋
42/59
ローマ橋を渡り切った所に建つのがカラオーラの塔。
13世紀、イスラム王朝のムワッヒド朝時代にローマ橋を守る要塞の門として建てられた。
現在はアル・アンダルス博物館となっていて、内部に入る事ができる。
ローマ橋
43/59
カラオーラの塔の北側辺りからのローマ橋とグアダルキビール川の上流側風景。
対岸にはメスキータやユダヤ人街が見通せる。
グアダルキビール川は大西洋から大型船舶が遡行できる程の大河。
ローマ時代にはコルドバまで航行できたが、現在は途中の川が小さくなり、セビリアまでしか行けない。
ローマ橋
44/59
カラオーラの塔の北側辺りからのローマ橋北西方向を望遠での風景。
2つの塔がある中央の建物はローマカトリック教会。
ローマ橋
45/59
ローマ橋の最初の橋は古代ローマ時代に造られ、その後イスラムのムーア人達が大きくして行った。
現在は再建されているが、橋脚のアーチなどには、当時の遺構も残っている。
ローマ橋
46/59
ローマ橋は16の橋脚で支えられている。
ローマ橋はブエンテの門、カラオーラの塔などと共にコルドバ歴史地区の一つとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ローマ橋
47/59
聖アントニオの製粉所を南側、フライ・アルビーノ通りからの風景。
屋根は崩れ、朽ち果てた建物だが、現在は綺麗に修復され観光できるらしい。
グアダルキビール川に残る水車小屋は他にもテレスの水車小屋やアルボラフィアの水車小屋などが残るが、朽ち果てて中洲の藪の中に埋もれてしまっている。
ローマ橋
48/59
聖アントニオの製粉所辺りからカラオーラの塔とローマ橋の風景。
カラオーラの塔の内部ではメスキータの模型やジオラマが展示され、塔の上からはユダヤ人街方向はもちろん、コルドバ市内のパノラマを展望できる。
昼食
49/59
コルドバでの昼食はスペイン風オムレツ、トルティージャ。
中にはタマネギやジャガイモが入っている。
ライブ演奏
50/59
昼食時にスペイン音楽のライブ演奏があった。
丁度、ベサメ・ムーチョを歌っていた。
ベサメ・ムーチョはメキシコの女性作曲家の歌。
コルドバ駅
51/59
コルドバの観光はおしまい。
これから高速鉄道、AVEにてマドリードへ。
コルドバ駅舎の風景。
コルドバ駅
52/59
駅舎に入り、プラットホームへ。
エスカレータで下る、半地下になっているプラットホームだ。
コルドバ駅
53/59
コルドバ駅ではエスカレータ以外にもオートスロープがあり、スーツケースなど大きな荷物を持った旅行客に便宜を図っている。
近郊電車が出発します。
コルドバ駅
54/59
少しコルドバに付いて。
コルドバはスペインのアンダルシア地方、コルドバ県の県都で、アンダルシアではセビリアとマラガに次ぐ都市。
歴史は古く、紀元前8世紀ごろ、古代フェニキアの民が暮らしていた。
コルドバ駅
55/59
コルドバは紀元前3世紀になるとフェニキア人による国家カルタゴの支配する地となる。
ローマとのポエニ戦争の後、紀元前1世紀、古代ローマの属州となり、コルドバは州都となる。
コルドバ駅
56/59
ゲルマン系王国、西ゴート王国の支配下の後、8世紀、イスラム王朝ウマイヤ朝の下、コルドバは首都として発展して行く。
15世紀末、コルドバはキリスト教勢力によって支配される。
コルドバ駅
57/59
マドリード行きの案内板。
コルドバは古代ローマ遺跡が残り、メスキータに代表される様に、キリスト教文化とイスラム教文化が混ざり合った都市となる。
コルドバ駅
58/59
AVE特急列車の風景。
アンダルシア地方とマドリードを結ぶ高速鉄道はマドリード-セビリア高速線と呼ばれ、コルドバ駅はこの途中駅。
コルドバ駅から分岐してマラガへ行く支線もある。
コルドバ駅