シリア・アラブ共和国
ダマスカス
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シリアの首都ダマスカスの街並風景。
シリアは古い歴史を持ち、古代オリエントの時代から文明が発達してきた。
国内各地に古代遺跡がいくつも残っている。
ダマスカスは近代的なビルが建つ一方、旧市街では城壁に囲まれた古い地区が残る。
古都ダマスカス
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古代メソポタミアの時代より交易の要所だったダマスカス。
その旧市街にはアラブ人により敵の侵入を防ぐ目的で城壁が造られ、現在も残っている。
古代建造物が残る歴史地区は古都ダマスカスとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
旧市街
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旧市街の通りには沢山のお店が列んでいた。
ここは木工家具や日用品のお店。
旧市街
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旧市街の裏路地。
表通りとは打って変わって、静かでモノクロの色彩の風景。
ウマイヤド・モスク
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ダマスカス旧市街で最も見所となる観光名所、ウマイヤド・モスク。世界最大のモスクの一つで、世界最古のモスク。しかしここは神聖な場所で、イスラムの人達にとって聖地となっている。観光名所扱いは異教徒くらいかな。異教徒でも入場は可能だが、入り口は決まっていて北側の門。写真は北側入り口にあるミナレット、花嫁の塔。
ウマイヤド・モスク
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周囲を回廊で囲まれたウマイヤド・モスクの中庭風景。北側入り口から南側正面の方向を。写真左は礼拝堂。壁のモザイク画が素晴らしい。中央の小さい建物は清めの泉で、礼拝前に身を清める。右奥には西の塔と呼ばれるミナレットが建っている。
ウマイヤド・モスク
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北側入り口から南東方向を。
左の小さなドームは時計のドーム、中央奥にあるミナレットはイエスの塔。
花嫁の塔
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礼拝堂入り口から見た花嫁の塔。
ウマイヤド・モスクはイスラムの礼拝堂になる前はキリスト教会だったと言う。
礼拝堂
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礼拝堂の内部風景。
堂中は広々としていて、多くの礼拝者が祈りを捧げていた。
礼拝が済んだ信者は思い思いにくつろいでいた。
西の塔
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ウマイヤド・モスクの外観。
西の塔の辺りの風景。
スーク
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ダマスカスにはスークと呼ばれるアーケードの市場がある。ここは旧市街にあるハミディーエ・スークの入り口。入り口は古代遺跡のアーチがそのまま使われている。
ハミディーエ・スーク
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ビデオからの写真なので画質は悪いですが、沢山の人で混雑しているスーク内の様子。
ハミディーエはダマスカス最大のスークで、ウマイヤド・モスクのそばにある。
人混みの中なので、貴重品には注意が必要。
ダマスカスの夜景
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市街の北西にあるカシオン山からはダマスカスの街が一望できる。
今回は日没後に行ったのできれいな夜景が楽しめた。
パルミラ
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ダマスカスの東210K、一面砂漠の中にナツメヤシが生い茂るオアシスがあり、ここに古代遺跡が残る。
シリアで最も有名な観光地にして、数ある世界遺産の中でも代表的存在、パルミラである。
ベル神殿
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広漠たる敷地の中、まず東に位置するベル神殿に向かう。
写真は神殿の外壁と円柱回廊.
ベル神殿全体は一辺が200mを越える外壁に囲まれた広大な建物。
ベル神殿
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ベル神殿外壁部に残る建造物。
神殿内に入り本殿へ行く正門。
ベル神殿本殿
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外壁に囲まれた神殿の中央部の本殿。
最高神ベルを祭祀する。
本殿の門
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本殿内へ入る門。
入り口にしてはとても高い。
本殿内部
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本殿内部の風景。
両端には神の像が安置していた。
本殿内部
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本殿内部から見た入り口風景。
巨大な本殿の門とその向こうには外壁部の正門が見える。
ベル神殿
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神殿中庭の風景。
左が本殿。
おびただしい数の円柱がガレキと成って一面に転がっていた。
本殿裏側
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神殿の奥へ向かう。
本殿を裏側から見た。
ナツメヤシ
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ベル神殿の外側に広がるナツメヤシの林。
細かい葉っぱの木はオリーブ。
ここはパルミラ遺跡の有る町、タドモール。
地下水が湧き出るオアシスの町。
ベル神殿
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アーチの有る通路では、当時神に捧げる生け贄の動物を運んだ。
この先に儀式の祭壇が有った。
本殿裏側
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ベル神殿の最深部から神殿全体を見た風景。
ベル神殿は紀元1世紀頃建造された。
ベル神殿
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円柱回廊に立つ筆者。
パルミラの遺跡としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
記念門
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ベル神殿を後にして西側に記念門が有る。
これは町の入り口で、ここから古代都市パルミラの町並みが広がる。
アーチの曲線が美しい。
ラクダ
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観光用のラクダ。
記念門付近からラクダに乗って観光ができる。
砂漠の遺跡にはラクダが似合う。
列柱道路
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パルミラ遺跡と言えばこの美しく真っ直ぐに奥まで続く列柱道路。
記念門から続く都市パルミラの大通りで、1k以上の長さ。
円形劇場
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列柱道路を西へ進んでいくとローマ式野外円形劇場がある。観客席最上部から舞台を見下ろす。ここの舞台は保存状態が良く、ほぼ完全な形で残っている。現在でもフェスティバル等で実際に使用されていて、歌劇などが催される。
列柱道路
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パルミラの列柱道路。
円形劇場付近から入り口の記念門方面を。
当時、列柱は700本も立ち並んでいたが、ほとんどは倒れていて、現在100本弱が復元されている。
アラブ城
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岩山にそびえるアラブ城。
西の方角に山があり、その頂上に城が建っている。アラブ城の名を持つその城はパルミラとは時代が違って十字軍時代の物。当時、城塞の役割をしていたが、現在ではパルミラ全体を見渡せる最高の観光地となっている。
アゴラ
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円形劇場から列柱道路を外れ、直角に南に行くとアゴラと呼ばれる辺りに来る。
ここは集会場の跡。
またこの広場では商人達が様々な交易品を持ち寄って市場を開いていた。
アゴラ
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シリアに残る多くの古代遺跡と同じく、パルミラの歴史も古い。メソポタミアの時代から栄え、紀元前1世紀から400年間栄華を極めた。地理的にも東西シルクロードの交易路の重要な要所にあり、隊商都市として繁栄した。現存する遺跡の多くは古代ローマ帝国時代の物。
ディオクレティアヌス城砦
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パルミラの列柱道路を西へ行き着く。遺跡の最も奥ばった所、そこはディオクレティアヌス城砦と呼ばれる辺りに出た。都市パルミラの町はずれと言う雰囲気。それにしてもひと気が無い。この辺りまで来るとさすがに寂しい。夕刻も近くだったせいか、我々一行以外の観光客はおらず、貸切状態。
パルミラ
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ディオクレティアヌス城砦付近からのパルミラ遺跡風景。
この辺りはパルミラの住居跡との事。
今は石材がただ転がっているだけ。
パルミラ
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入り口方面を望遠レンズで。
テトラピロンと呼ばれる四面門の一つが見える。
石柱4本一組にした四角の建物を4対、道の分岐点に建てたもの。
墓の谷
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パルミラ列柱道路の突き当たり、ディオクレティアヌス城砦を南へ下る。
そこは墓の谷と呼ばれる場所で、荒涼とした大地にいくつもの墓が残る。
墓の谷
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多くの墓は風化が激しく、ほとんど朽ちている。
エラベール家の墓
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朽ちた墓がほとんどの中で、きれいに修復し保存されているのはエラベール家の墓。
エラベール家とはパルミラの神殿建造に多額の寄付をした富豪の一族。
三兄弟の地下墳墓
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地下に行く階段が見える。
ここは三兄弟の地下墳墓。
エジプト、ルクソールに有る王家の谷を彷彿とさせる。
内壁に壁画が残っている。
墓の谷
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崩れた墳墓とロバ車
アラブ城からのパルミラ遺跡
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パルミラ遺跡から一旦離れてアラブ城へ登ってみる。ここから一望できるパルミラ遺跡は最高の眺め。
右下は四面門、左は入り口の記念門。
中央奥にベル神殿が見える。
アラブ城からのパルミラ遺跡
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アラブ城から見たパルミラ遺跡。
左上に野外円形劇場、右がアゴラ。
アラブ城の建つ岩山にはバスで来れる。
アラブ城からの町並み
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アラブ城からはパルミラ遺跡と並んで現在の小さな町タドモールが見える。
またここからは谷に沈む美しい夕日が楽しめる。
アラブ城自体は外壁が残るだけで、他はガレキだけ。
ベドウィンの少女
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羊飼いの少女。
ベドウィンと呼ばれる遊牧民族。
ベドウィンのテント
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砂漠の民、遊牧民族ベドウィンの家族。
今でもテント暮らしをしていた。
クラック・デ・シュバリエ
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ダマスカスの北140K、レバノンとの国境まで10Kの所、丘の上に十字軍の城、クラック・デ・シュバリエはある。
城の入り口付近の風景。
クラック・デ・シュバリエ
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城の中の通路は折れ曲がり、複雑に入り組んでいる。
敵に侵入されにくく、兵器も使い難い造りになっている。
クラック・デ・シュバリエ
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堅固な城壁を持った難攻不落の山城で、騎士団の砦の名を持つこの城は11世紀頃建築され、12世紀に入り聖ヨハネ騎士団の所有となった。
クラック・デ・シュバリエ
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観光は朝一番に出かけたため朝霧に見舞われた。
一風変わった雰囲気での中世のお城の景色。
クラック・デ・シュバリエ
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周囲を城壁に囲まれていて、見張りの塔や護衛の塔などいくつもの塔が建つ。
クラック・デ・シュバリエはユネスコ世界文化遺産へ登録されている。
クラック・デ・シュバリエ
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当時、二千人を越える兵士が城で暮らしていた。
敵に攻められた時、長期間立てこもって戦える様に、食料や水も大量に貯蔵していた。
クラック・デ・シュバリエ
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城の中には礼拝堂もあり、ここはそこへ続くアーチ天井のホール。
クラック・デ・シュバリエ
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お城の中心部の中庭辺りの風景。
クラック・デ・シュバリエ
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高台へ続く階段の建物。
十字軍時代に騎士団は二重の城壁にするなど大規模に増築し、要塞とした。
クラック・デ・シュバリエ
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この城は戦闘用として完成度が高かった。
十字軍遠征に来ていた中世ヨーロッパの王が自国での築城の際にモデルにした程だった。
クラック・デ・シュバリエ
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二重の城壁の間には一部、内堀が掘られていて今でも残っている。
クラック・デ・シュバリエ
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城の高台から町並の風景。
町も小高い丘の斜面にあった。
クラック・デ・シュバリエ
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塔から眺めたお城の風景。
クラック・デ・シュバリエ
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お城の近くで出会ったシリアの女の子。
ハマ
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クラック・デ・シュバリエのお城から北東へ60kの所に緑豊かな都市、ハマがある。
この街が有名なのは「水車」。
ハマ
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街を流れるオロンテス川には今でも動いている木製の水車が12基残っている。
昔は30基以上はあったと言う。
一つの水車に近づいてみた。
ギィーときしませながら、水しぶきと共にゆったりと回りつづけている。
ハマ
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水車には石造りの水道橋がつながっていて、以前は汲み上げた水を水道橋に流し、生活用水に用いたり、農地に流したりしていた。
現在の水車は観光用に使われていて、水は近くの公園の池に流している。
最大の水車は直径20mも有ると言う。
シリアの少年
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ホブスと呼ばれる丸く平らなアラビアパンを買いに行くのは子供たちの役目。
ハマの街で出会った、人なつっこいシリアの少年。
お菓子
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水車以外のハマの名物。それは甘〜いお菓子。
ミルクや特産のピスタチオをふんだんに使った、お餅の様な物やロール状のお菓子など、何種類も売っていた。筆者も頂戴したがかなり甘く、沢山は食べられなかった。
屋台
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街中でよく見かけたバナナ売りの屋台。
シリアではこの他の果物も豊富だ。
エブラ遺跡
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水車の街、ハマの北75kにある古代都市遺跡エブラ。
とても古く、紀元前三千年頃から歴史がある。
これはその入り口風景。
エブラ遺跡
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現在の遺跡は保存状態が悪く、ほとんど崩れている。
石造りならまだしも、日干しレンガの様な物で造られていて風化が激しい。
エブラ遺跡
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一部の建造物には漆喰の様な物で修復していたが、これが真っ白でどうも遺跡の雰囲気では無かった。しかし、エブラを有名かつ重要な遺跡にしているのは、紀元前2500年頃のくさび形文字が書かれた保存状態の良い粘土板が一万数千枚も発掘された事。
アレッポ
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ここはアレッポの街。トルコ国境に近いシリア北部に位置し、エブラ遺跡から北東60Kにある、シリアの中でも首都ダマスカスに次いで大きい街。歴史は古く、紀元前20世紀頃から都市が形成されてきた。いくつも折れ曲がり複雑な裏通りの風景。迷子になりそう。
アレッポ
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怪しげなオブジェをテラスに置いている。
何かと思えばオリエントハウスと言う名の骨董品店。
アル・ハタブ広場に有りました。
博物館
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国立アレッポ博物館の正面風景。
大きな博物館で、入り口には動物の背中に立っている真っ黒の神像が3体置かれていた。
アレッポ城
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城壁に囲まれた旧市街の中央にアレッポ城は建っている。
これはアレッポ城の入り口風景。
アレッポ城は市のシンボル的存在。
アレッポ城
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アレッポ城は小高い丘の上に建てられていて、入り口から石の橋で城内へ入る。
石の橋の上から見た城壁風景。
右側の建造物は物見櫓。
アレッポ城
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城内から振り返った入口の風景。
アレッポ旧市街はアレッポ城を含め、古都アレッポとして世界文化遺産に登録されている。
アレッポ城
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城内の通路を歩く。
堅固な城壁に守られた城塞として十字軍の侵略にも耐えたという。
アレッポ城
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城内の風景。
城門や城壁に比べ内部は保存状態が悪く、所々崩れてはいるが、広い城内は一つの町の様だ。
アレッポ旧市街
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アレッポ城の城壁の上から見たアレッポ旧市街の風景。
全ての家は石造りで、中東らしい薄い石の色だけの単色の町並みが一望できる。
円形劇場
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城内に有った円形劇場。
近年修復された新しい円形劇場は実際に舞台として使用されていて、演劇などが催されている。
アレッポ城
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イスラムの国らしく、城内にはモスクも有った。
アレッポ城
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ミナレットの風景。
角柱型をしている。
謁見室
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アレッポ城の建物の中へ入ってみました。
ここは玉座の間で謁見室と呼ばれている。
床や天井には美しい模様が描かれていた。
グレート・モスク
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アレッポ城と並びアレッポの象徴、グレート・モスク。ここはその中庭風景。訪れた時は遅くなってしまい日没後。しかも雨が降って来た。けれどライトアップの光が濡れた床を照らし、空に残るわずかなコバルトブルーと相まって美しい夜景を見せてくれた。
グレート・モスク
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ダマスカスのウマイヤド・モスクと同様にキリスト大聖堂をモスクに改修した建物。
礼拝堂へ続く通路には美しい絨毯が真っ直ぐに敷き詰められていた。
スーク
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アレッポのスーク。
ダマスカスのハミディーエ・スークも大きかったが、ここのスークも大きい。
日用雑貨、衣類から香辛料まで何でもある。
オリーブオイルから作る有名なアレッポ石けんもおいていた。
スーク
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ここは貴金属のコーナー。
通路の両側にガラスのショーケースがずらっと並び、ライトに反射した金色が通路を照らしていた。
スーク
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大きな荷物は車が入れないのでロバの背に乗せて運んでいた。
ロバ君はおとなしくてかわいいのだが、狭い通路では少し邪魔。
アサド湖ダム
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アレッポの東130Kに有るダムでユーフラテス河をせき止めたアサド湖。
人造のダム湖は琵琶湖ほどもあると言う。
湖の名前はアサド大統領から。
デリゾール
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アサド湖をせき止めているダムからユーフラテス河を下る事160kの所に河畔の町デリゾールが有る。取り立てて言うほどの町では無いが、ユーフラテス河に架かる吊り橋があり、歩いて河を渡る事ができる。早朝に訪れた。朝日を浴びて、すがすがしい空気の中、ユーフラテス河の散歩が楽しめた。
ドゥラ・エウロポス
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デリゾールからユーフラテス河80k程の下流にローマ時代の古代都市遺跡ドゥラ・エウロポスが残っている。
写真は遺跡入り口近くにあったパルミラ門。
当時の都市の正門。
ドゥラ・エウロポス
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パルミラ門を中心に、遺跡の西側には城壁が連なる。
この辺りはシナゴーグと呼ばれるユダヤ教の教会跡が発掘されていて、貴重な壁画が見つかっている。
ドゥラ・エウロポス
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西側城壁から東側城塞跡へ行く途中、遺跡の中を深い谷が走り両側は切り立った崖になっている。
名前のドゥラとは要塞の事で、2世紀頃ローマ帝国の要塞都市として最も繁栄した。
ドゥラ・エウロポス
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日干しレンガでできた神殿の跡。
この辺りは遺跡の中央部。
ドゥラ・エウロポス
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遺跡の中程から東側を望む。
東にはユーフラテス河が流れ、城塞が残る。
ドゥラ・エウロポス
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遺跡東側に残るペルシャ時代の城塞跡。
ドゥラ・エウロポスは東西交易の要所でもあり、隊商都市としてもにぎわった。
ドゥラ・エウロポス
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東側城塞跡から西側神殿跡方面を振り返って。
ドゥラ・エウロポス
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遺跡はユーフラテス河を見下ろす断崖の上に建造されている。
東側城塞跡の城壁の上からユーフラテス河を望む。
右側が下流。
ドゥラ・エウロポス
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ドゥラ・エウロポス遺跡に落ちる夕日。
ドゥラ・エウロポス
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東側城塞跡からユーフラテス河上流域を望む。
城塞跡に立つと足がすくむ程の断崖絶壁の上。
築かれた城壁は長い時代に河の流れに削られ、残っているのはわずか。
マリ遺跡
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ドゥラ・エウロポスから南東へ30kに有る古代メソポタミア文明時代の都市遺跡マリ。ここはジムリ・リム宮殿跡。雨による浸食や風化を防ぐため巨大なテントがかぶせてあった。当時数百に及ぶ部屋が有り、現在発掘されている数多くの小部屋を迷路の様に通路でつながっている。
マリ遺跡
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現在も発掘が行われていて、足元には古代遺跡が何層にも埋もれており、天井部分が口を開けていた。とても歴史は古く、紀元前三千年メソポタミア前期のシュメール時代にマリ王朝として栄えた。ユーフラテス河のほとりにあり、世界四大文明発祥地の一つ。
マリ遺跡
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遺跡自体は泥を固めた日干しレンガで造られているので非常に保存が難しく、壁などは崩れていて原形が残っていない。
この遺跡からは粘土板にくさび形文字で書かれた、マリ文書と呼ばれる遺物が数多く発掘され貴重な資料となっている。
マリ遺跡
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遺跡にはジッグラトと呼ばれる、日干しレンガを積み上げて建てられた塔の跡が有る。
現在は崩れて小高い丘になっている。
そこから眺めた、周囲に砂漠が広がるマリ遺跡の風景。マリ王朝は紀元前18世紀頃、バビロニアに滅ぼされた。
ベドウィンの民
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マリ遺跡の近くで出会った遊牧の民、ベドウィンの子供達。
放牧している羊を追っていた。
ここはイラクとの国境に近く、15k程しか離れていない。
ベドウィンの民
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ベドウィンの集落に立ち寄ってみた。ユーフラテス河流域にはテルと呼ばれる、埋もれて小高い丘になっている遺跡が数多く残る。マリ遺跡発見は第二次世界大戦前、この辺りのベドウィンの民がテルを掘っていて、偶然に遺物を発見した事がきっかけ。
ボスラ
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ここはシリア南部、ヨルダンとの国境まで15kの所にある古代ローマ遺跡が残るボスラ。
まず城塞シタデルへ。
城塞入り口へは外堀に掛かる石橋を渡る。
ボスラローマ劇場
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ボスラに残る遺跡で最も有名なのがローマ式円形劇場。
これはその舞台。
ここも演劇などで今でも実際に使用されている。
ボスラローマ劇場
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観覧席風景。
一万五千人は入れたと言う、大規模なボスラローマ劇場。
ここの特徴は少し黒っぽい所。
これは玄武岩を多用しているから。
ボスラローマ劇場
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観覧席上部からの舞台風景。
ローマ劇場は保存状態が良く、当時の姿をほぼ残している。
舞台背景建造物はそびえ立つ様に迫力満点で、演劇の際に観客席に音声が響き渡る様に設計されていた。
ボスラ
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ボスラは紀元前2世紀頃、ヨルダンを中心にとしたナバテア王国の都市として栄えた。
今はガレキと化してる都市遺構群。
古代都市ボスラとしてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ボスラ
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シリア最後の観光地はここボスラ。
この後、国境を越えてヨルダンへ。
国境