シリア・アラブ共和国(エブラ)
エブラ遺跡
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アレッポとハマの中間辺りに古代都市遺跡エブラが残る。
当時は周囲に城壁が築かれていた。
ここは南西にある遺跡への入り口の風景。
エブラ遺跡
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城壁の大きさは北西から南東にかけて1k、北東から南西にかけて700mの広さがあった。
城壁内の王都に入るには、4つの城門をくぐらなければならなかった。
南西にはダマスカス門、北西にはアレッポ門、北東にはユーフラテス門、南東には砂漠の門があった。
ここはダマスカス門の北側、南宮殿の跡。
エブラ遺跡
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この辺りは南宮殿の跡。
西には亡き王の聖域が、その北にはレシェフ神殿の跡が残る。
古代都市エブラはとても古く、紀元前30世紀頃から歴史がある。
アクロポリス
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古代都市エブラの中心には、小高い丘になっているアクロポリスが残る。
ここには王が居住した王宮跡が残る。
古代交易による商業の重要な中心地であり、東のメソポタミアと南のエジプトを繋ぐ交易路の中継都市として重要な都市であった。
王宮跡
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エブラを有名で、かつ重要な遺跡にしているのは、紀元前25世紀頃のくさび形文字で書かれた、保存状態の良い粘土板、エブラ文書が15,000枚も発掘された事。
王宮跡
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王宮跡の建造物は日干しレンガで建てられており、風化に弱い。
そのために漆喰の様な物で修復していたが、これが真っ白で、どうも遺跡の雰囲気では無かった。
エブラ遺跡
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アクロポリスの丘から北西側、アレッポ門方向の風景。
残る遺構は北の宮殿跡。
古代都市エブラは2度滅亡している。
最初は紀元前23世紀、メソポタミアを征服したアッカド帝国により、町は破壊された。
エブラ遺跡
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北の宮殿跡の南側に残るのは、イシュタル北の神殿跡。
現在の遺跡は保存状態が悪く、ほとんど崩れている。
エブラは紀元前20世紀ごろに復興するが、紀元前17世紀にヒッタイト王国により滅ぼされ、廃墟となり歴史から消える。
エブラ遺跡
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更に南側、アクロポリスの丘の西に位置するのはイシュタルのテラスとライオンのテラス跡。
石造りならまだしも、日干しレンガで造られていて、ひどく風化が激しい。
テル・マルディフの町
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アクロポリスの丘から土塁の様になった、かつての城壁越しに見えるのはテル・マルディフの町。
テル・マルディフの町