シリア・アラブ共和国(マリ)
マリ遺跡
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ここはドゥラ・エウロポスから南東へ30kにある、古代メソポタミア文明時代の王宮都市遺跡マリ。
入り口にあった遺跡の案内図。
とても歴史は古く、この地に人が暮らし始めたのは紀元前50世紀ごろ、紀元前20世紀メソポタミア前期のシュメール時代にマリ王朝として栄えた。
マリ遺跡
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ここは紀元前18世紀のマリの王、ジムリ・リムの宮殿跡。
雨による浸食や風化を防ぐため巨大なテントがかぶせてあった。
当時数百にも及ぶ部屋が有り、現在発掘されている数多くの小部屋は、それぞれ迷路の様に通路でつながっている。
マリ遺跡
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現在も発掘が行われていて、足元には古代遺跡が何層にも埋もれており、天井部分が口を開けていた。
遺跡自体は、泥を固めた日干しレンガで造られているので非常に保存が難しく、壁などは崩れていて、原形は残っていない。
マリ遺跡
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井戸の跡だろうか、垂直に落ち込んでいる。
内側の壁は日干しレンガが積み重ねられていた。
古代メソポタミア文明はユーフラテス河のほとりにあり、世界四大文明発祥地の一つ。
マリ遺跡
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この遺跡からは粘土板にくさび形文字で書かれた、マリ文書と呼ばれる遺物が数多く発掘され、貴重な資料となっている。
マリ王朝は紀元前24世紀に一度滅びる。
その後紀元前19世紀ごろ第2期マリ王朝が誕生、ジムリ・リム王の時代に繁栄する。
マリ遺跡
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遺跡にはジッグラトと呼ばれる、日干しレンガを積み上げて建てられた塔の跡がある。
現在は崩れて小高い丘になっている。
そこから眺めた、周囲に砂漠が広がるマリ遺跡の風景。
マリ遺跡
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遺跡の周囲は酪農地が広がっており、羊が放牧されていた。
紀元前18世紀中ごろ、バビロニアの王ハンムラビによってジムリ・リム王は討たれ、マリ王朝は滅亡した。
マリ遺跡
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マリ遺跡は一時期、古代都市マリとして考古学的価値から、ユネスコ世界遺産の暫定リストに登録されていた。
シリア内戦時にイスラム国の支配地となり、王宮を中心に遺跡は破壊され、資金を得るために多くのマリ文書は略奪された。
現在のマリ遺跡はガレキの山と化している。
ベドウィンの子供たち
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マリ遺跡の近くで出会った遊牧の民、ベドウィンの子供達。
放牧している羊を追っていた。
ここはイラクとの国境に近く、15k程しか離れていない。
ベドウィンの子供たち
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とても元気なベドウィンの子供たち。
ベドウィンとはアラビア語で、砂漠に住む人々、を意味する言葉で、アラビア地方で暮らす遊牧民族の事。
ベドウィンの民
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ベドウィンの集落に立ち寄ってみた。
遺跡で見かけた少年だ。
ベドウィンの民はシリアだけでは無く、東はアラビア半島から西はサハラ砂漠にかけて、とても広い地域に暮らしている。
ベドウィンの民
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ベドウィンの人たちは遊牧民族で、砂漠をテントをたずさえ、移動する生活だが、ここの人たちは建物を建て、定住している様だ。
ベドウィンの民
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ベドウィンの女の子。
この子たちも遺跡で見かけ、みんなで記念撮影していた子供たちだ。
ベドウィンの民の多くは羊やラクダの放牧で暮らしているそうだ。
の民
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ユーフラテス河流域にはテルと呼ばれる、埋もれて小高い丘になっている遺跡が数多く残る。
マリ遺跡発見は第二次世界大戦前、この辺りのベドウィンの民がテルを掘っていて、偶然に遺物を発見した事がきっかけ。