中華民国(台北)
台北空港
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台湾への入り口、台北空港。
正式には台湾桃園国際空港で、着陸目前の空港の風景。
かつては台北松山空港が国際空港だったが、手狭になり台湾桃園国際空港が開港し、台北松山空港は国内線用となった。
中正紀念堂
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台北市内へ入って来ました。
ここは中正紀念堂と紀念堂が建つ自由廣場。
台北で最も名高いモニュメント。
中正紀念堂
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中正紀念堂と自由廣場の風景。
中華民国の建国の父、蒋介石を称えて建てられた記念堂。
自由廣場
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自由廣場の花壇では美しい花々が咲いていた。
中正紀念堂の中正は蒋介石の本名で、蒋介石はニックネームだとの事。
自由廣場
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自由廣場で見かけた新婚カップル。
中正紀念堂を背景に記念撮影するのがトレンドなのだろう。
自由廣場
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こちらは、まだ幼い台北の男の子。
自由廣場はとても広く、東京ドームが5個は入ると言う。
台北市民の憩いの場所となっている。
これから中正紀念堂の中へ入ります。
中正紀念堂
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結構な段数の階段を登って記念堂の堂内へ。
中央には巨大な蔣介石の座像が置かれていた。
座像手前の人は儀仗隊と呼ばれる警護の兵。
中正紀念堂
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中正紀念堂が観光スポットである理由の一つは、堂内の蔣介石の座像を守るため儀仗隊が詰めていて、その儀仗隊の交替式が行われるから。
静粛の中、儀仗隊の靴音と銃剣の音だけが響いていた。
儀仗隊
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沢山の見物客が来ていた交替式、筆者もタイミングよく見る事ができたのだが、銃を用いたパフォーマンスは一見の価値あり。
儀仗隊の交替式は朝から夕方まで、一時間ごとに行われる。
儀仗隊
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筆者は台北訪問の際に二回、儀仗隊の交替式を見る機会があったのだが、それぞれ制服が違っていた。
どうやら夏服と冬服の違いらしい。
中正紀念堂
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中正紀念堂内にて筆者近影。
中正紀念堂は蔣介石が死去した際に建設が計画され、5周忌に当たる1980年に完成した。
元は日本統治時代の日本軍用地の跡地。
自由廣場
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中正紀念堂から、自由廣場の風景。
中央の白い建造物は、中正紀念堂入り口正門の自由廣場牌樓。
左の建物は國家戲劇院、オペラハウス。
自由廣場
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正門の自由廣場牌樓は広場の西に建つ。
右の建物は國家音樂廳、コンサートホール。
大孝門
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中正紀念堂からの風景。
こちらの大きな門は中正紀念堂大孝門。
自由廣場の南側に建つ。
中正紀念堂
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中正紀念堂を下りて北側へ行く。
北側から振り返って中正紀念堂の側面の風景。
高さ70mもある。
大忠門
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同じ位置から北側の風景。
この門は中正紀念堂大忠門。
前述の大孝門と南北で対になっている。
雲漢池
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中正紀念堂から自由廣場の西へ来ました。
ここは雲漢池。
中正紀念堂を背景にした風景。
雲漢池
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中正紀念堂の敷地内には庭園が造られており、美しい中国式の庭園風景を楽しめる様になっている。
國家戲劇院を背景にした雲漢池の風景。
雲漢池
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中国式庭園では良く目にするアーチになっている石橋。
中正紀念堂敷地内の庭園も対になっており、南にあるのがこの雲漢池で、北にあるのは光華池。
雲漢池
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スイレンの花咲く雲漢池。
池ではたくさんのコイが泳いでいた。
また水鳥も羽を休めにやって来る。
國家戲劇院
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自由廣場へ戻ります。
広場から見た國家戲劇院。
ここはオペラやバレエ、ミュージカルなどが上演されるオペラハウス。
國家戲劇院
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國家戲劇院の西側から國家戲劇院と中正紀念堂の風景。
國家戲劇院には劇場以外に表演藝術圖書館と呼ばれる舞台芸術の図書館も併設されている。
國家音樂廳
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國家戲劇院と対になって建っている北側の國家音樂廳。
國家戲劇院の前からの風景。
オーケストラの演奏会が開かれるコンサート・ホール。
國家音樂廳と國家戲劇院を併せて國家兩廳院と呼び、総合芸術文化施設となっている。
中正紀念堂回廊
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中正紀念堂がある自由廣場を屋根のある回廊が取り囲んでいる。
帰りは回廊を歩きます。
壁には格子の窓が開き、格子窓の回廊と呼ばれている。
中正紀念堂回廊
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回廊内には腰掛けるベンチがあり、多くのベンチではお父さんたちが中国将棋をしていた。
なぜ、この回廊内で中国将棋なのか、良く判らないが。
愛国西路東路
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中正紀念堂回廊を通り抜け、中正紀念堂の外へ。
ここは中正紀念堂の南西角、愛国西路東路の交差点辺りから見た國家戲劇院の風景。
手前の紺色の屋根を持つ回廊が通って来た中正紀念堂回廊。
景福門
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愛国西路東路の交差点から中山南路を北へ行く。
中正紀念堂の北西角辺りにあった清代の臺北府城の東門。
正式には景福門と呼ばれるが、現在残る建物は建て替えられたもので、かつての景福門の原形を留めていないそうだ。
二二八和平公園
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ここは中正紀念堂から北へ500mほどにある二二八和平公園。
公園内には庭園や池があり、楼閣や塔などの建造物も建つ。
二二八和平公園
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元は日本統治時代の台北新公園で、二二八和平公園の名は、戦後台北で発生した中国政府に対する抵抗運動、二・二八事件の中心地となった事から。
この事件で多くの台湾人が中国政府により殺された。
園内には慰霊碑や和平記念碑が建つ。
中華民国総統府
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二二八和平公園の直ぐ南西に建つのは中華民国総統府。
台湾の国家元首、中華民国総統の官邸。
工芸品研究センター
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緑の丸い傘の様な屋根が特徴の工芸品研究センター。
台湾の工芸品に付いて工芸家の育成や工芸品の研究、普及を行う機関。
正式名称は国立台湾工芸研究発展中心台北当代工芸設計分館。
国立台湾芸術教育館
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工芸品研究センターの北側に建つ国立台湾芸術教育館。
国の機関として台湾の芸術を育成していく事を目指している。
国立台湾芸術教育館
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国立台湾芸術教育館から南に行く。
ここは国立台湾芸術教育館に付属する南海劇場の正面。
南海劇場は数百人ほどの観客が入れて、演劇などの出し物を開催している。
国立歴史博物館
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国立台湾芸術教育館を西へ行く。
ここは国立歴史博物館。
手前の池は小西湖。
国立歴史博物館
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国立歴史博物館では台湾の歴史や古くからの芸術品が展示されている。
また、台湾で暮らす少数民族に関する展示コーナーもある。
小西湖
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国立歴史博物館の北側に小西湖と言う池がある。
この池は西側にある台北植物園の付属の池。
ハスがたくさん植えられている事から荷花(ハス)池とも呼ばれる。
国立歴史博物館
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小西湖の西、台北植物園前から東側の風景。
右が国立歴史博物館、左の丸い傘の様な屋根は工芸品研究センター。
国立歴史博物館
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博物館内部の上階層から北側、小西湖の風景。
芸術教育館から歴史博物館、植物園にかけては台北市内にも関わらず、自然が多く、遊歩道も作られており、市民の憩いの場となっている。
国立歴史博物館
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国立歴史博物館の北側、南海路に面する博物館の正面入り口の風景。
博物館の展示品は陶器、磁器、添器、彫刻、書画など数万点にも及ぶ。
龍山寺
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国立歴史博物館を離れ、北東へ1kちょっと行くと龍山寺がある。
まずは入り口、龍山寺の南側、廣州路に面して建つ山門の風景。
二重構造の屋根を持ち、4本の柱で3つの入り口がある四柱三間と呼ばれる建築様式の牌楼。
龍山寺
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山門をくぐり、北へ行く。
この建物は前殿にあたる三川殿で、この建物からぐるっと龍山寺全体を回廊が取り囲んでいる。
龍山寺
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龍山寺三川殿の風景。
台北に数あるお寺の中でも最も有名で、由緒ある古寺、龍山寺。
18世紀中頃に建てられた。
龍山寺
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三川殿では正殿にあたる中殿に向かって、たくさんの人がお祈りを捧げていた。
台北の地には古来より先住民族が暮らしていたが、中国の明王朝時代から漢民族が海を渡り、この地に暮らし始めた。
龍山寺
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三川殿から見た中殿の風景。
龍山寺と言う名のお寺は台湾の各地に建っている。
その中でも、ここの龍山寺を正式には艋舺龍山寺と呼んで区別している。
龍山寺
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三川殿に置かれていた彫刻。
とてつも無く精密で細やかな細工がされていて、高い芸術的価値がある。
龍山寺のある萬華地区は、中国からの移民の人達が最初に暮らし始めた、台北で最も古い地区。
龍山寺
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中国漢民族の一つに客家と呼ばれる、移住しながら移住先に定住する人々がいる。
18世紀中頃、中国福建省から渡って来た客家の人々により、地元の福建省晋江市にある龍山寺の別院として建築し、信仰の対象とした。
龍山寺
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台北にある寺院、清水祖師廟と大龍峒保安宮とを併せて台北の三大廟門と呼ばれ、信仰を集めている。
龍山寺は福建省の龍山寺が仏教寺院である事から台北の艋舺龍山寺も当初は仏教寺院であり、本尊も観音菩薩を祀っていた。
龍山寺
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中殿から振り返って三川殿の風景。
古刹龍山寺では、もうもうとした線香の煙の中、手を合わす参拝者が絶える事はない。
龍山寺
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現在は仏教以外にも道教や儒教の寺となっており、孔子や関帝、媽祖などが祀られている。
祀られている神は様々、100以上もあると言う。
龍山寺
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龍山寺は太平洋戦争時に米軍の爆撃によって破壊されたが、戦後復元工事がなされ、現在では台北市の指定文化財となっている。
龍山寺
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龍山寺を出て外からの龍山寺風景。
この楼閣は鐘鼓楼で六角形の建物。
東西に対で建っており、東側は鐘楼、西側は鼓楼が建つ。
清水祖師廟
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龍山寺から北東へ500mほど行くと清水祖師廟がある。
正式には艋舺清水巌祖師廟と言い、ご本尊の清水祖師を祀る寺院。
ここは清水祖師廟の南側に建つ入り口の山門。
清水祖師廟
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清水祖師廟の本堂。
清水祖師とは中国福建省出身の、徳の高い僧侶で、死後に守護聖人となり、人々に崇められている神様の事。
清水祖師廟
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ご本尊を安置している御堂。
龍山寺同様に、福建省から渡って来た客家の人々によって祖師廟が建てられ、清水祖師廟とした。
現在では清水祖師信仰は台湾全土に広がっており、大小合わせて100近い清水祖師を本尊とする寺院がある。
清水祖師廟
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前述した様に、龍山寺と大龍峒保安宮とを併せて台北の三大廟門と呼ばれている。
清水祖師廟は過去に地震や太平洋戦争などで何度か焼失しており、その度に再建されて来た。
廣州街
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日が暮れてからは夜市の観光が良いとの事で、散策にやって来ました。
ここは龍山寺南側を東西に伸びる廣州街の夜景。
特に龍山寺前から西側が繁華街になっている。
廣州街
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とても賑やかな夜の廣州街。
特に、筆者が訪れたのは年末の大晦日。
車も止めて歩行者天国になっていた。
華西街観光夜市
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夜空に浮かぶ牌楼の扁額に華西街観光夜市とある。
ここは廣州街から北へ延びる、夜市の一つ華西街観光夜市の入り口。
華西街観光夜市
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夜市とは、名前の通り夕方から夜中まで開いている市場の事で、通りに沿って続いている。
華西街観光夜市は天井のあるアーケードになっていた。
華西街観光夜市
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果物屋さん。
夜市の規模は様々で、客が多く集まる大型の夜市から、地場密着の小規模な夜市まで幅が広く、中国から東南アジアにかけても、同じ様な形態の夜市がある。
これは暑い地方では、日中の暑さを避けて、人々は日が落ちてから外出する習慣がある事から。
華西街観光夜市
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ここは仏具の専門店。
夜市は名高い観光施設の近くなどにある事が多い。
華西街観光夜市は直ぐ東に龍山寺がある事から、夜市として発展して行った。
華西街観光夜市
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中華レストラン。
夜市には飲食店から生活雑貨、衣料品、肉・海産物・野菜・果物などの食品店など、多種多様な店が開いている。
華西街観光夜市
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こちらは海産物を中心にしたお店で、品物を選んで調理してもらい、テーブルで食する、食堂も兼ねている店。
華西街観光夜市
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カニやタイなどの海産物に混じって、カエルが仰向けにされて並んでいた。
そうすると、手前の細長いのはウナギかアナゴかと思ったが、台湾名物のヘビ料理に使うヘビかもしれない。
梧州街観光夜市
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こちらは華西街観光夜市の南に延びる夜市、梧州街観光夜市。
夜市では常設店舗以外に移動式の、屋台店舗もたくさん出ている。
梧州街観光夜市
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通りから脇にそれて中華レストランがあった。
夜市の中には屋台ばかりの夜市、屋台夜市がある。
日本での、博多中州の屋台村の様な飲食店街だ。
梧州街観光夜市
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こちらでは貴金属、アクセサリーなどを置いている。
夜市は台湾では観光資源となっており、外国人も多い。
台北だけでも他に饒河街夜市、士林夜市、臨江街夜市、寧夏夜市、師大夜市、雙城街夜市などたくさんある。
国立故宮博物院
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台北観光の最後は、市内中心から少し離れ、中正紀念堂から直線距離で8kほど北東に位置する国立故宮博物院を訪れます。
白い建造物は天下為公アーチと呼ばれる入口の門、牌坊。
国立故宮博物院
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入口の門、牌坊の扁額には天下為公とある。
天下為公、てんかいこう、とは天下をもって公と為(な)す、の事。
天下、すなわち国や政治は皇帝や王など権力者のために有るのではなく、公、すなわち民衆のためにこそあるべきだ、の意味。
古くは儒学者によって編纂された、社会秩序・道徳の書、礼記(らいき)にある言葉。
国立故宮博物院
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小高い山すそに建つ故宮博物院の中庭風景。
中国北京、紫禁城の故宮博物院と並び、膨大な中国古代美術品を所蔵している。
世界の博物館の中でも有数の博物館。
国立故宮博物院
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映画ラストエンペラーで知られる清王朝の最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が清を離れ、満州国皇帝になった際、紫禁城で清王朝の財宝・美術品などを一般公開した。
中国との戦争時に、蔣介石は財宝を戦火から守るために、全体の4割ほどを厳選して台湾へ持ち出した。
その財宝を今に展示しているのが国立故宮博物院。
VISA
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1990年当時のVISAと1995年、1997年の入出国スタンプ。