タジキスタン共和国
ウズベキスタン-タジキスタン国境
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ここはタジキスタンの西部。
ウズベキスタンのサマルカンドから陸路国境越えで入国しました。
道の先に何か、ゲートの様な建造物が現れた。
国境付近
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ウズベキスタンとの国境付近にあったゲート前にて。
道路の周りには広い綿畑がどこまでも広がっていた。
ペンジケント遺跡
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ここはペンジケント遺跡。
と言っても、入り口当たりの風景はドロの荒野が広がっているだけ。
ペンジケント遺跡はウズベキスタンのサマルカンドから東へ直線距離で約60kほど。
ペンジケント遺跡の地図
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遺跡の南東側から入ります。
ペンジケント遺跡の入口にあった遺跡の地図。
ただ、かすれていた事、文字もロシア語かタジク語か読めない事から良く判らなかった。
ペンジケント遺跡
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遺跡の中央へと続く道。
この道は、土が上に長い間に厚く積もってはいるが、古代都市が栄えていた頃に人々や馬車が通った道だ。
ペンジケントはかつてこの地方に栄えた、ソグド人の古代国家ソグディアナの都市遺跡の一つ。
ペンジケント遺跡
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遺跡の道を進む旅仲間。
日傘をさしているが、とにかく暑かった。
遮る物が何も無い中、快晴の日となった。
直ぐに日焼けします。
ペンジケント遺跡
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ソグディアナはウズベキスタンのサマルカンドを中心として存在した国家で、紀元前6世紀には文献に登場している。
ソグディアナの古代都市にはサマルカンド、ペンジケントの他にウズベキスタンのタシュケントやブハラなどがある。
ペンジケント遺跡
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ペンジケントはタジキスタンの首都ドゥシャンベから北西へ150kほど離れた、タジキスタンの最も西に位置する。
ウズベキスタンのサマルカンドから国境を陸路で越え、入出国手続きを含めて片道2時間位なので、サマルカンド観光のついでに日帰りで訪れた。
ペンジケント遺跡
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ペンジケント遺跡は周囲を城壁で囲まれた城郭都市だった。
これは前述の判りにくい地図でも、はっきりと、特に南側に示されている。
都市は西と東に分かれており、西はシタデルと呼ばれる城塞となっていた小高い丘に王宮の置かれた区画、東は広々としたシャフリスタンと呼ばれる市街地があり、商人や市民が暮らしていた。
ペンジケント遺跡
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シャフリスタンの中央辺りに来ました。
北側に見える遺構はゾロアスター教神殿跡で、後ほど参ります。
ここから西にあるシタデルへ向かいます。
ペンジケント遺跡
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この辺りの遺構は縦に深い。
階段の跡もあり、平屋建てでは無く2階建て以上だったとされる。
ペンジケント遺跡からは様々な遺物も発見されている。
今は無き古代文字、カローシュティー文字で書かれた書物も発見され、貴重な資料となっている。
ペンジケント遺跡
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ソグド人とはザラフシャン川流域の、中央アジアに暮らしていたペルシア系の民族で、商売に長けており、シルクロードの隊商民族として交易で活躍した。
ザラフシャン川はパミール高原から流れ出し、ペンジケントを通りウズベキスタンのサマルカンド、ブハラ、カラクルを流れ砂漠に消える。
ペンジケント遺跡
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シタデルの王宮跡。
ソグド人はシルクロードの交易の際、物品だけでは無く、仏教やキリスト教、ペルシャのマニ教なども東へ伝えた。
玄奘三蔵が西域の旅の記録、大唐西域記の中でソグド人に付いて記述している。
ペンジケントの町
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シタデルはペンジケントの町を見下ろす丘の上にあり、そこから見た町の風景。
街の周辺は土や砂漠で、その中にある緑のオアシス。
ザラフシャン川が流れ、シルクロードの山々が遠く見える。
ペンジケント遺跡
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タジキスタンは、国土の90%以上が山岳地帯で標高も高い。
遺跡は敵の侵略の時に放棄され廃墟となる。
日干し煉瓦で造られていたため風化が激しく、今は泥の山の様に朽ちていた。
それでも古代の寺院跡や住居跡が僅かに残り、当時をしのぶ事ができる。
ゾロアスター教神殿
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シタデルから東へ戻り、シャフリスタンの北側に残るゾロアスター教神殿跡を観光。
ソグド人は宗教としてはゾロアスター教を信仰していた。
崩れた遺跡が多い中で、形をとどめている数少ない一つ。
ゾロアスター教神殿
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ゾロアスター教神殿跡にて筆者近影。
古代ペルシャで生まれたゾロアスター教は炎を信仰・崇拝の対象とした宗教で、拝火教とも呼ばれる。
ゾロアスターを開祖とするが、紀元前7世紀説や紀元前13世紀説などあり、いつの時代の人物かは判っていない。
ゾロアスター教神殿
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ゾロアスター教神殿の横手の積まれた日干しレンガの壁。
最高神を知恵と光の神、アフラ・マズダとするゾロアスター教、特徴的なのは埋葬の方法が風葬や鳥葬であり、火葬や土葬は禁じられている事。
ペンジケント遺跡
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タジキスタン人の先祖はソグド人と言われ、ペンジケントに街を作り、シルクロードの交易で栄えた。
ペンジケントは5世紀ごろに最も栄えたが、8世紀頃にアラブ人が侵入、その支配下に入る。
8世紀末頃、街は放棄され滅亡し、19世紀中頃に再発見されるまで土に埋もれていた。
ルダーキ博物館
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ウズベキスタンとの国境から程近い所にあったルダーキ博物館。
小さな博物館だが、ペンジケント遺跡からの出土品、壁画や陶器などのソグド人の遺品をはじめ、鳥や動物の剥製など色々な物が展示されてた。
ルダーキは詩人の名前で、前庭に銅像もあった。