ウズベキスタン共和国
タシュケント
1/128
ウズベキスタンの首都、タシュケント。
シルクロードのオアシス都市として古代より栄えた。
ここはウズベキスタン国立歴史博物館の正面。
国立歴史博物館
2/128
ウズベキスタン国立歴史博物館の入り口エントランスの壁に展示されている巨大な絵画。
3階まで吹き抜けのエントランスは明るい。
国立歴史博物館
3/128
ここにはウズベキスタンを中心に中央アジアの発展の歴史が展示されている。
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
4/128
ここはオペラとバレエの専用劇場、ナヴォイ劇場。
その正面の入り口風景。
正面前の広場には噴水が置かれていた。
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
5/128
劇場の名前にもなっているナヴォイとはアリシェル・ナヴォイの事で、ティムール朝時代の伝説的な文人の事。
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
6/128
劇場を建てたのは、第二次世界大戦後にソ連の捕虜となった日本兵達だ。
長時間労働や食事もひどいものしか与えられず、強制労働の環境は非常に劣悪なものだった。その待遇にも関わらず、建築物は一切の手抜きの無い素晴らしいもので、この地を襲った大地震で多くの建物は倒壊したが、彼らが建てたこの劇場はビクともしなかった。
ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場
7/128
イスラム・カリモフ大統領は近年になり、劇場を建築した日本兵達を讃える記念の碑を劇場に設置した。
劇場正面から左へ回り込んだ建物の左側面の壁にその碑はある。
バラク・ハーン・メドレッセ
8/128
メドレッセとはイスラムにおける神学校の事。
入り口から入った中庭には花壇があり、バラの花が咲いていました。
ハスティ・イマーム・モスク
9/128
バラク・ハーン・メドレッセの向かい側にあったハスティ・イマーム・モスク。
結婚式
10/128
夜、レストランでの夕食後、けたたましい楽器の音が。
着飾った人達が大勢いた。
結婚式の披露宴の様だ。
ティムール広場
11/128
ここはティムールの騎馬像が建つティムール広場。
チンギス・ハーンに滅ぼされたタシュケントをティムールが復興再建した事から英雄となっている。
ここを中心に放射状に道が広がっている。
ティムール広場
12/128
サマルカンドへの移動の前に朝の散歩。
緑豊かな公園で、噴水とバラの花咲く花壇がさわやかに迎えてくれる。
タシュケント市内
13/128
バスの車窓からタシュケント市内の風景。
ロバ車
14/128
サマルカンドへの移動中、すれ違ったロバ車に乗る少年達。
綿畑
15/128
車窓からの綿畑が広がる風景。
子供たちが夏休みの期間中は収穫に手伝いに出る。
ソ連時代からウズベキスタンは綿花栽培が盛んで、単一農業に近いほどの割合。
昼食
16/128
ドライブインでの昼食は焼きたてのカバブー。
羊や鳥のスパイス焼きだが、とても美味しく、何本でも頂けます。
サマルカンド
17/128
青の都と称されるサマルカンド。
チンギス・ハーンに滅ぼされた後、ティムールによって復興再建されたシルクロードの都市。ここはティムールが眠るグリ・アミール廟。
グリ・アミール廟
18/128
グリ・アミール廟の近くにホテルがあり、部屋の窓からの風景。
右の渋い建物は霊の住み家という名のルハバード廟。
グリ・アミール廟
19/128
グリ・アミール廟の両端に建つ塔、ミナレット。
美しい幾何学的文様のアラベスクやアラビア文字の文字装飾カリグラフィーがミナレットを彩っている。
グリ・アミール廟
20/128
グリ・アミール廟の中へ入ってみました。
廟内部、内装のモザイク模様はとても美しいものだった。
内部の大広間に墓石の様な物は実際の墓ではない。
地下室にある本当の墓の位置を指している。
グリ・アミール廟
21/128
グリ・アミール廟のイーワーン。
イーワーンとはイスラム建築独特の天井がアーチ状になっている入り口ホールの建物の事。
スイカ
22/128
みずみずしいスイカ。
道沿いにお店を出していました。
グリ・アミール廟
23/128
ライトアップされた美しい夜景のグリ・アミール廟。
グリ・アミール廟
24/128
ティムールを含め一族8名が眠る地下墳墓。
中は電球だけで薄暗い。
グリ・アミール廟の裏手に、地下に降りる入り口がある。
グリ・アミール廟
25/128
ホテルの部屋からのグリ・アミール廟の夜景。
子供達
26/128
サマルカンドの人なつっこい子供達。
ビデオを向けると寄って来ました。
レギスタン広場
27/128
旧市街の中心地、レギスタン広場。サマルカンド観光において最も有名で代表的な所。ここには神学校メドレッセが三棟、広場を囲むように建っている。写真は広場正面、北側に建つティリヤ・カリ・メドレッセ。
レギスタン広場
28/128
レギスタン広場の向かって右、東側にはシェル・ドル・メドレッセが建つ。
レギスタン広場のメドレッセはティムールの孫ウルグ・ベクの時代から建てられ、それ以前の広場は公共の広場やバザールとして機能していた。
シェル・ドル・メドレッセ
29/128
シェル・ドル・メドレッセで特筆すべきは入り口アーチの上部、左右2か所に描かれているモザイク画。
トラの様なライオンが小鹿を捕えるモチーフになっている。
人の顔や動物などを描く事は偶像崇拝を禁じているイスラム教においてはタブーなので、このモザイク画はとても珍しい。
シェル・ドル・メドレッセ
30/128
大帝国を築いたティムールは各地で捕虜にし連れ帰った優秀な職人、芸術家や建築家を使い、ペルシャの文化を参考に美しいイスラム世界を造った。
ティリヤ・カリ・メドレッセ
31/128
ウズベキスタンの魅力、特にここサマルカンドの魅力とは何か。
ここを訪れ、壮麗な建物群を眺めた誰をも魅了するのが、モスクや霊廟、メドレッセを覆う青を基調とした数々の色、極めて細やかで複雑な模様が組み合わされたタイル装飾だろう。
アラベスクやカリグラフィーで美しく飾られたティリヤ・カリ・メドレッセのイーワーン。
ティリヤ・カリ・メドレッセ
32/128
ティリヤ・カリ・メドレッセの青色のドーム。
エメラルドグリーンのドームは真っ青な青空と相まってとても美しく輝いている。このドームの下に礼拝堂がある。
ティリヤ・カリ・メドレッセ
33/128
ティリヤ・カリ・メドレッセの中へ。
ここはその中庭の風景。
ティラカリ・メドレッセ
34/128
入り口から中庭に入って左手に前述の青色のドームがあり、その下にある礼拝堂へ向かった。ここは神学校だがモスクとしての礼拝所でもある。
ライトに照らされ、きらびやかな礼拝堂の風景。
ウルグ・ベク・メドレッセ
35/128
レギスタン広場の向かって左、西側にはウルグ・ベク・メドレッセが建つ。
イーワーンのアーチの上部には青い星をデザインしたタイル装飾がある。
ウルグ・ベク・メドレッセ
36/128
ウルグ・ベク・メドレッセの中庭の風景。
中庭に面して開かれた大きなイーワーン。
その左右に数多くある小部屋は当時のイスラム神学生の寄宿舎跡。
ウルグ・ベク・メドレッセ
37/128
現在の多くのメドレッセはショップになっていて、中庭では絨毯を、各小部屋では服や民芸品などを売っている。
ビビハニム・モスク
38/128
ティムールが他に比べる物が無い、唯一無二の壮大なモスクを建築した。
王妃ビビハニムの名を持つモスク、ビビハニム・モスクだ。
レギスタン広場から北東にある入り口イーワーンの風景。
ビビハニム・モスク
39/128
しかし、このモスクには次第に訪れる礼拝者がいなくなり、やがて廃墟となる。イスラムで最大級の巨大なモスクの建築を、無理やり性急に実施させた。その結果、完成直後から建材の崩落が起き、崩れていったためだ。修復されたミナレットの風景。
シャブ・バザール
40/128
ここはシャブ・バザール。
ビビハニム・モスクに隣接するサマルカンド第一のバザール。
シャブ・バザール
41/128
シャブ・バザールで見かけた、カラフルなウズベクの民族衣装を着た女の子。
シャブ・バザール
42/128
この平たいパンはナン。
インド料理でおなじみのナンとは形は違うが、サマルカンドのナンは素朴な味でとても美味しい。
シャーヒ・ズィンダ廟群
43/128
ここはシャーヒ・ズィンダ廟群。
ティムールの孫ウルグ・ベクが建てた入り口の門を入ると、奥へと続く昇り階段がある。
これは天国への階段と呼ばれ、数えた段数が行き帰りとも同数だったら死後に天国へ行けるのだと言う。
シャーヒ・ズィンダ廟群
44/128
天国への階段の中段にある2つのドームを持ったウルジョイオイーム廟。
ティムールの乳母が祀られている。
シャーヒ・ズィンダ廟群
45/128
シャーヒ・ズィンダ廟群はシャブ・バザールの東側にあり、11世紀から20世紀の間に数多く建てられたティムール一族の霊廟が立ち並ぶ、サマルカンドにおける聖地とされている霊廟群。
シャーヒ・ズィンダ廟群
46/128
ここは死者の通り。
ティムールが造ったシルクロードのオアシス都市サマルカンドは、サマルカンド文化交差路としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ウルグ・ベク天文台
47/128
シャーヒ・ズィンダ廟群から更に東へ、ウルグ・ベク天文台。
ティムール帝国の君主だったウルグ・ベクは学者としても高名で、天体観測に用いる六分儀が設置されたウルグ・ベク天文台を建て、星や太陽の観測を行った。
家族
48/128
街で見かけたウズベクの家族。
アフラシアブの丘
49/128
ここは街の北東に広がる丘陵地、アフラシアブの丘。
1220年、モンゴル襲来によって全て破壊された旧サマルカンドの街の跡。
今は風化が進み、朽ちた日干しレンガの山が起伏となって残るだけ。
アフラシアブの丘
50/128
紀元前5世紀頃には町となり、シルクロードの時代には行き交う商人たちで賑わい、彼らが利用した隊商宿、キャラバンサライも沢山あった。
その後、街は再建されず南西に現在のサマルカンドが築かれ、ティムール朝時代には首都として繁栄する事になる。
アフラシアブ博物館
51/128
アフラシアブの丘にあるアフラシアブ博物館、その建物入り口の風景。
ゾロアスター教の祭壇や陶器、コインなどの出土品が展示されていた。
アフラシアブ博物館
52/128
展示品の中でも、目玉となるのがソグド人を描いたアフラシアブ壁画と呼ばれるフレスコ壁画。
展示ブースの四方の壁一面に、ラクダに乗った王族の人々などのフレスコ壁画が展示されている。
遊牧
53/128
シャフリサブスへの移動途中に見かけた、遊牧する少年。
この辺りは灌木がまばらに生える砂漠地帯。
シャフリサブス
54/128
ここシャフリサブスはティムールの生まれ故郷であり、ティムール朝時代に栄えた中心都市。
崩れたこの建物はアク・サライ宮。
アク・サライ宮
55/128
ティムールの夏の王宮とも呼ばれる、ティムールが夏の間住んでいた宮殿、アク・サライ宮。
入り口の門だけが残るが、それでも巨大な建造物はティムールの死後も建設が続いた。
ドルッテイロヴァット建築群
56/128
アク・サライ宮から南へ1kほどに瞑想の家と呼ばれるドルッテイロヴァット建築群がある。
その一つ、ティムール一族の霊廟、グンバズィ・サイーダン廟。
ドルッテイロヴァット建築群
57/128
ティムールの孫、ウルグ・ベクが父のため建設したコク・グンバス・モスク。
金曜モスクとも呼ばれる。
ドルッテイロヴァット建築群
58/128
トウモロコシ畑とドルッテイロヴァット建築群。
これらティムール帝国の文化遺産はシャフリサブス歴史地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
ブハラ
59/128
次の訪問地はブハラ。街の中心に建つアルク城。
また、このアルク城が建つ辺りがオアシス都市として2千年も昔より栄えた古代ブハラができた所。
アルク城
60/128
アルク城入り口の城門。
アルク城の基礎は紀元前に建てられた城塞。
現在の物はブハラ・ハーン国時代の歴代君主の居城跡。
アルク城
61/128
城内へ入ります。
ここは城内にあるモスク、ジュマ・モスク。
そのイスラム建築様式のテラス・アイヴァンの風景。
アルク城
62/128
ブハラ・ハーン国王が下々の人達と謁見した謁見の間。
去る時、王に背を向ける事のない様に後ずさりしなければ命が無かったと言う。
アルク城
63/128
上まで登ると広い広場があった。
ここにもカーペットや民芸品が広げられていた。
アルク城
64/128
場内の出口に続く通路はお土産屋が並ぶ。
ショッピング・アーケードの様になっていた。
アルク城
65/128
お土産屋で見かけたウズベクの少女。
お店の看板娘。
バラハウズ・モスク
66/128
アルク城の近く、沢山の柱で天井を支えたアイヴァンが美しいバラハウズ・モスク。
ハーン国王の専用のモスク。
カラーン・モスク
67/128
左の高い塔はカラーン・ミナレット。
右はカラーン・モスクで、とても大きく、ブハラ最大のモスク。
カラーン・ミナレット
68/128
カラーンとはとても大きいの意味で、モスクと並んでミナレットもとても大きく、ブハラの街のどこからでも見る事ができる。
通り
69/128
カラーン・モスク前の通りをカラーン・ミナレットを経由して東へ。
カラーン・モスク東側に位置するアミール・アリム・ハーン・メドレッセの青いドーム。
通り
70/128
アルク城南側の通りを東へ。
カラーン・モスクの北側を通り過ぎた辺りの通りの風景。
商店街が続いています。
通り
71/128
商店街でお店を開いていたウズベクのおばあさん。
お土産屋
72/128
通りの南側にあった神学校、アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ。
中はお土産屋です。
老人
73/128
アブドゥールアジス・ハーン・メドレッセ入り口に腰かけていたウズベクのおじいさん。
ウルグベク・メドレッセ
74/128
通りを挟んでアブドゥールアジス・ハーン・メドレッセの北側に建つ、ウルグベク・メドレッセ。その中庭の風景。
ウルグベク・メドレッセ
75/128
ここのの中庭も御多分に洩れず、お土産屋になっていた。
ウルグベク・メドレッセ
76/128
民芸用の楽器を演奏するお店の人。
バザール
77/128
広場で露店市場が開催されていた。
ブハラの旧市街はブハラ歴史地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
タキ
78/128
このドーム状のたてものはタキと呼ばれる丸屋根市場。
タキとは丸いドーム屋根の意味。
タキ
79/128
通りの交差点にドーム状の建物を建て、四方をアーケードにした市場。
タキ
80/128
絨毯や帽子、貴金属のアクセサリーなどが置かれていた。
タキ
81/128
タキに続く露店のお店。
果物やパンを置いている。
マゴキ・アッタリ・モスク
82/128
地面より下の、半地下に建てられているモスク。
昔は砂に埋もれていたのを掘り起こした。
ラビハウズ
83/128
ラビハウズと言う大きな池の周辺にイスラムのオープンカフェであるチャイハネやカバブーの焼きたてを食べさせる店が続く。
ラビハウズ
84/128
ラビハウズの池の東側に建つ、ハーン国の大臣ナディール・ディヴァンベギが建てたは神学校、メドレッセ。
ラビハウズ
85/128
池の西側には同じくナディール・ディヴァンベギが建てたナディール・ディヴァンベギ・ハナカが建つ。ハナカとは神学校の寄宿舎。
ラビハウズ
86/128
ナディール・ディヴァンベギ・ハナカの中へ。
内部は陶磁器などのお店。
クカリダシュ・メドレッセ
87/128
池の北側にはハーン国の大臣クカリダシュが建てたメドレッセがある。
チャシュマ・アイユブ
88/128
ヨブの泉と呼ばれるこの建物は、中に泉が湧き、礼拝に行く人々が清めるのに使っている。
男の子
89/128
近くにいたウズベクの男の子。
イスマイール・サーマーニ廟
90/128
ブハラを首都としたサーマーン朝の王イスマイール・サーマーニが建てた、一族の霊廟。とても古く1000年以上も前の建物。
砂の中に埋もれていたため、保存状態が良い。
老人
91/128
イスマイール・サーマーニ廟で出会ったウズベクのおじいさん。
彫金
92/128
イスマイール・サーマーニ廟の近くで見かけた、金属の皿の工芸。
小さなタガネとハンマーで金属の皿に彫刻をしている。
完成品は近くで即売していた。
民族舞踊
93/128
ブハラ地方伝統の踊り。
民族舞踊
94/128
踊りのBGMは民族楽器を演奏し歌う、男性陣による生演奏。
民族舞踊
95/128
カラフルな民族衣装を着た美人のお嬢さん達による華麗な舞。
ウルゲンチへ
96/128
ブハラを離れ、ウルゲンチへ。
ここはイチャン・カラ城壁で知られたヒヴァの観光拠点。
道中にはキジルクム砂漠が延々と続く。
ウルゲンチ
97/128
立ち寄った夜店の風景。
ヒヴァ
98/128
ここはヒヴァの街。
イチャン・カラと呼ばれる城壁に囲まれた美しい旧市街が見どころ。
写真は城壁西門のアタ・ダルヴァザ門。
ヒヴァ
99/128
アタ・ダルヴァザ門の南側にあるムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセ。左は真ん中で切れた様な塔、カリタ・ミナル・ミナレット。イチャン・カラは外城と城壁で隔てられた内城に別れている。
カリタ・ミナル・ミナレット
100/128
アタ・ダルヴァザ門をくぐりイチャン・カラの中へ。直ぐに目に入るのがとても大きいカリタ・ミナル・ミナレット。
頂上部分が未完成。
イチャン・カラ
101/128
左は神学校がそのままホテルになっているムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセ。右奥は先程くぐった西門のアタ・ダルヴァザ門。
西門から東門へ続くこの通りはカールマルクス通り。
クフナ・アルク
102/128
カールマルクス通りを挟み、カリタ・ミナル・ミナレットの北側に建つクフナ・アルク。
その入り口にある2つの塔。
クフナ・アルク
103/128
クフナ・アルクの東側、入り口前には広場があり、そこからのクフナ・アルクの風景。
クフナ・アルク
104/128
クフナ・アルクの中庭から高台の風景。
クフナ・アルクはヒヴァ・ハーン国の歴代の王が居住した宮殿。
クフナ・アルク
105/128
イスラム建築のテラス、アイヴァン。
美しいタイルで装飾されていて、特に天井部分はカラフルな色合いの王座の間。
クフナ・アルクからの風景
106/128
クフナ・アルクの城壁には上の方まで登れ、そこからイチャン・カラの遺跡全体を見渡せる。
写真中央には舞台の様なアイヴァンが見える。
クフナ・アルクからの風景
107/128
ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの風景。
この後行きます。
クフナ・アルクからの風景
108/128
ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの北側の風景。
クフナ・アルクからの風景
109/128
右にはムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセと左のカリタ・ミナル・ミナレット。
クフナ・アルクからの風景
110/128
モノトーンの様なレンガ色の街並み。
イチャン・カラ
111/128
クフナ・アルクの東側にある、城壁からもよく見えたムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセ。今は歴史博物館として使われている。
ラクダ
112/128
ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの南側、カールマルクス通りとの間に観光ラクダがいた。
ラクダ
113/128
ラクダに乗ってイチャン・カラ観光、と言うのでは無い。
この広場をくるくる回るだけ。
お店
114/128
メドレッセをお店にしていた。
元のメドレッセは、YoqubboyJodjaメドレッセ。
パフラヴァン・マフムド廟
115/128
パフラヴァン・マフムド廟の入り口風景。
ヒヴァ・ハーン国の大臣、パフラヴァン・マフムドの霊廟。
パフラヴァン・マフムド廟
116/128
パフラヴァン・マフムド廟の中庭では新婚カップルがお参りをしていた。
パフラヴァン・マフムド廟
117/128
礼拝堂では。聖職者による礼拝者への説法がなされていた。
イスラム・フッジャ・メドレッセ
118/128
ヒヴァ・ハーン国の最後の王の大臣イスラム・フッジャによって建てられたヒヴァでは新しいメドレッセ。特徴的なのはとても高いミナレット。イチャン・カラのどこからでも見る事ができる。
ジュマ・モスク
119/128
非常に変わったモスクで有名なジュマ・モスク。
金曜モスクとも呼ばれるこのモスクの特異な所は212本もの木製の柱で支えられている事。
高床式の床下の様に見えるが、れっきとした礼拝堂です。
タシュ・ハウリ
120/128
前述のクフナ・アルクに匹敵する宮殿として建てられた
とても美しい幾何学模様のタイル装飾が一面に施されている。
通りの風景
121/128
カールマルクス通りを東の方へ。
振り返ってカリタ・ミナル・ミナレットの風景。
通りの風景
122/128
カールマルクス通りから少し外れた通りの風景。
東門
123/128
カールマルクス通り、東の突き当り東門へと続く。
バザール
124/128
東門から一旦イチャン・カラを出ました。
そこに開かれていたバザールの風景。ビデオを向けたら笑顔で応えてくれた。
クフナ・アルクからの風景
125/128
もう一度イチャン・カラの中へ。
美しいイチャン・カラを一望できるクフナ・アルクの城壁に再度登ってみた。
ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの風景。
右の塔はジュマ・モスクのミナレット。
クフナ・アルクからの風景
126/128