ウズベキスタン共和国(シャフリサブス)
ロバ車
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これからシャフリサブスへ向かいます。
移動の途中、すれ違ったロバ車に乗る少年達。
綿畑
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車窓からの綿畑が広がる風景。
旧ソ連時代からウズベキスタンは綿花栽培が盛んで、現在では世界6位の生産高。
綿畑
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綿の生産は綿摘み作業が大変。
ウズベキスタンでは人口の2割弱の人が綿摘み作業に従事している。
綿摘み期間中の労働者への強制労働や子供たちの労働が問題となっている。
遊牧
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シャフリサブスへの移動途中に見かけた、遊牧する少年。
この辺りは灌木がまばらに生える砂漠地帯。
シャフリサブス
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ここはシャフリサブスの街。
サマルカンドの南70kに位置する、中央アジアの古代都市。
写真はアミール・ティムールの像が建つ公園。
後ろはアク・サライ宮跡。
アク・サライ宮
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花々が咲く美しい花壇とアク・サライ宮跡。
アク・サライ宮はティムール王朝アミール・ティムールが自分の故郷シャフリサブスに建てた王宮。
ティムールの夏の王宮とも呼ばれ、ティムールが夏の間だけ住んでいた。
アク・サライ宮
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現在は王宮は壊され残っておらず、現存するのは宮殿の入り口の門だけ。
城門も上部は壊れ、東と西に塔の部分が残るだけ。
アク・サライ宮
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古代のシャフリサブスの街は今の場所より北東8kほどにある、現在のキタブの街の辺りにあったキシュと呼ばれた街。
心安らぐ地の意味を持つ古代キシュの街は紀元前7世紀ごろ、イラン系のソグド人が暮らしていた。
アク・サライ宮
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紀元前5世紀頃には都市国家ソグディアナを形成し、キシュは主要都市の一つだった。
ダレイオス3世のアケメネス朝ペルシアを倒した、古代ギリシャのアルゲアス朝マケドニア王国のアレキサンダー大王は紀元前4世紀中頃、ソグディアナを征服し、キシュの街も従属都市となる。
アク・サライ宮
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美しい青のモザイクで装飾された東側の門。
マケドニア王国の都市としてサマルカンドやブハラが発展して行くに従って、キシュは衰退して行く。
再度、歴史の表舞台に出るのは、ティムール朝を興したアミール・ティムールの登場による。
アク・サライ宮
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こちらは西側の門。
14世紀、シャフリサブスが故郷のティムールは、キシュから現在のシャフリサブスへ街を移した。ティムールは征服した王朝の職人たちをシャフリサブスへ移住させ、アク・サライ宮殿を中心に神学校メドレッセやモスク、キャラバン・サライなどを建設した。ティムールはティムール朝の首都をシャフリサブスに定めるつもりだったが、この地は雪が多く冬季の交通が不便だった事からあきらめ、サマルカンドを首都に定めた。
シャフリサブスの子どもたち
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アク・サライ宮で見かけた地元の女の子。
色々な所でカメラを向けると、好奇心旺盛な子供たちはフレームインしてくる。
ドルッテイロヴァット建築群
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ここはドルッテイロヴァット建築群。
アク・サライ宮から南へ1kほどに残る、モスクや霊廟が集まった建築群の事。
写真はグンバズィ・サイーダン廟。
ドルッテイロヴァット建築群
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こちらはコク・グンバス・モスク。
ティムールの孫、ウルグ・ベクが父のために建てた。
金曜モスクとも呼ばれる。
ドルッテイロヴァット建築群
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青いドームが美しいコク・グンバス・モスク。
コク・グンバス・モスクとは正に、青色のドームを持つモスクの意味だ。
ドルッテイロヴァット建築群
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コク・グンバス・モスクの入り口、イーワン。
イスラム建築でよく見る事のできる、アーチ型の天井を持つ建造物。
ドルッテイロヴァット建築群
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ドルッテイロヴァット建築群の中に建っていたミナレット。
モスクでの礼拝、サラートが始まる事を告げるアザーンが、ミナレットの上から呼び掛けられる。
アザーンの特徴は、キリスト教の教会では鐘を鳴らすのに対して、ムアッジンと呼ばれる呼び掛け役の人の声で、節を付けて行われる事。
ドルッテイロヴァット建築群
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コク・グンバス・モスクの中へ入ります。
ドームの内側、内装は綺麗なモザイクで装飾されていた。
ドルッテイロヴァット建築群
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日陰のベンチでまったりとくつろぐ、シャフリサブスのじい様。
首都に定めたサマルカンドだが、ティムールはサマルカンドには余り暮らさなかった。むしろ地方の都市に好んで暮らし、故郷のシャフリサブスにも暮らせる様に強大な王宮を建設する事にした。その王宮がアク・サライ宮で、巨大な建造物は建設に24年も掛かり、完成したのは亡くなる1年前だった。
ドルッテイロヴァット建築群
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シャフリサブスを案内してくれた現地ガイドのお嬢さん。
ティムールは自分の墓も生前建築し、死後は故郷のシャフリサブスに葬られる事を願っていた。ティムールは遠征の途中で亡くなり、シャフリサブスへの帰還が雪のため叶わなかった。ティムールの願いも虚しくシャフリサブスには埋葬されず、サマルカンドのグリ・アミール廟に葬られた。
ドルッテイロヴァット建築群
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ドルッテイロヴァット建築群の東側からの風景。
右がコク・グンバス・モスク、左がグンバズィ・サイーダン廟。
ドルッテイロヴァット建築群
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トウモロコシ畑とドルッテイロヴァット建築群。
ドルッテイロヴァットとは瞑想の家の意味だそうだ。
現在は観光地として開発された様だが、当時、ドルッテイロヴァット建築群の周囲はただの畑だった。
ドルッテイロヴァット建築群
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ウルグ・ベクによって、ティムール一族の墓所として建てられたグンバズィ・サイーダン廟。
緑あふれるオアシスの街の語源からの地名シャフリサブス。アミール・ティムールが亡くなった後もティムール朝の第2の都市として栄えたが、16世紀初頭にティムール朝は滅亡。この地を支配したシャイバーニー朝ブハラ・ハン国によってシャフリサブスの街は破壊された。
ドルッテイロヴァット建築群
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ドルッテイロヴァット建築群を背景に筆者近影。
ウズベキスタンが旧ソ連から独立後、政府はティムールの故郷のとして観光資源を見出し、シャフリサブスの観光開発に着手した。
シャフリサブスの家族
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街で見かけたシャフリサブスの家族。
アク・サライ宮跡やドルッテイロヴァット建築群など、シャフリサブスに残るティムール朝の文化遺産は、シャフリサブス歴史地区としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
しかし、ウズベキスタン政府の行き過ぎた観光開発が問題とされ、危機にさらされている世界遺産、危機遺産に登録されてしまった。
ハミウリ
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シャフリサブスの観光はおしまい。
これから世界遺産ブハラ歴史地区で知られるブハラへ向かいます。
途中のドライブインでガイドさんがハミウリをご馳走してくれた。
メロンの一種で、中国の新疆ウイグル自治区ハミが原産。