ウズベキスタン共和国(ヒヴァ)
ヒヴァ
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ここはヒヴァの街。
首都タシュケントから直線距離で西へ750kも離れている。
ヒヴァの街ではイチャン・カラと呼ばれる、城壁に囲まれた美しい旧市街が見どころ。
写真はイチャン・カラ城壁西門のアタ・ダルヴァザ門。
イチャン・カラ
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中央アジアやイランなどで、かつて都市を築いた際に、城壁に囲われた内城と城壁の外の外城の区画が造られた。
内城をイチャン・カラ、外城をデシャン・カラと呼ばれた。
現在にまでイチャン・カラが当時のまま残っているのはヒヴァのイチャン・カラだけで、とても貴重な建造物だ。
ヒヴァ
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アタ・ダルヴァザ門から城壁内の風景。
これは門の南側に建つムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセ。
左は真ん中で切れた様な塔、カリタ・ミナル・ミナレット。
イチャン・カラは外城と城壁で隔てられた内城に別れている。
カリタ・ミナル・ミナレット
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アタ・ダルヴァザ門をくぐりイチャン・カラの中へ。
直ぐに目に入るのがとても大きいカリタ・ミナル・ミナレット。
頂上部分が未完成。
イチャン・カラ
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左は神学校がそのままホテルになっているムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセ。
右奥は先程くぐった西門のアタ・ダルヴァザ門。
西門から東門へ続くこの通りはカールマルクス通り。
クフナ・アルク
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カールマルクス通りを挟み、カリタ・ミナル・ミナレットの北側に建つクフナ・アルク。
その入り口にある2つの塔。
クフナ・アルク
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クフナ・アルクの東側、入り口前には広場があり、そこからのクフナ・アルクの風景。
これからクフナ・アルクの中へ入ります。
クフナ・アルク
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クフナ・アルクの中庭からクフナ・アルクの城壁方向の風景。
この後、この城壁へ上ります。
クフナ・アルクはヒヴァ・ハン国の歴代の王が居住した宮殿の跡。
クフナ・アルク
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クフナ・アルクを更に中へ進む。
イスラム建築のテラス、アイヴァンがあった。
美しいタイルで装飾されていて、特に天井部分はカラフルな色合いの王座の間。
クフナ・アルクからの風景
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クフナ・アルクの城壁には上の方まで登れ、そこからイチャン・カラの遺跡全体を見渡せる。
城壁の上からのクフナ・アルクの風景。
クフナ・アルクからの風景
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城壁からのクフナ・アルクの風景。
写真中央には舞台の様なアイヴァンが見える。
クフナ・アルクからの風景
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城壁からみたアイヴァンの風景。
アイヴァンとはイスラム建築様式の一つ、柱をたくさん用いた、高い天井を持つ構造物の事で、ここでは王座の間として使われた。
クフナ・アルクからの風景
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城壁からのムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの風景。
この後行きます。
クフナ・アルクからの風景
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ヒヴァの街はウズベキスタン北西部にある、アムダリヤ川のオアシス都市。
南側10kにはトルクメニスタンとの国境があり、その先は広大なカラクム砂漠が広がる。
クフナ・アルクからの風景
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城壁からのムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの北側の風景。
ヒヴァの街は晴天の日が300日も続く乾燥地帯に位置する。
クフナ・アルクからの風景
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クフナ・アルクの城壁からの風景。
右にはムハンマド・アミン・ハーン・メドレッセと左のカリタ・ミナル・ミナレット。
ムハンマド・アミン・ハーンは18世紀中頃のヒヴァ・ハン国を統治していた君主の事。
クフナ・アルクからの風景
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クフナ・アルクの城壁からの風景。
モノトーンの様なレンガ色の街並みが広がる。
イチャン・カラ
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クフナ・アルクの観光を後に外へ出る。
ここはクフナ・アルクの東側にある、城壁からもよく見えたムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセ。
今は歴史博物館として使われている。
ラクダ
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ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの南側、カールマルクス通りとの間に観光ラクダがいた。
現在残るイチャン・カラには、ブハラ・ハン国の首都だった頃の建造物が多く残る。
ラクダ
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ラクダに乗ってイチャン・カラ観光、と言うのでは無い。
この広場をただ、くるくると回るだけ。
それだけでも客は結構来ていた。
ラクダ
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ブハラ・ハン国の首都となる前の古都ヒヴァは、街の中心に湧き出ていた泉、ヘイワクの泉を中心に、1世紀には町ができていた。
シルクロードの時代、古都ヒヴァには隊商宿キャラバン・サライが建ち、中央アジアの交易都市として栄えた。
通りの風景
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通りで出会ったヒヴァの女の子。
古都ヒヴァでは人々はゾロアスター教を信仰していたが、8世紀頃、アラブの侵攻によりイスラム化して行く。
ブハラにブハラ・ハン国が興った16世紀初めに、同じくイスラム王朝としてヒヴァ・ハン国も興った。
ラクダ
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ヒヴァ・ハン国の建国当時は現トルクメニスタン領のクフナ・ウルゲンチが首都だったが、17世紀に現在のヒヴァに首都を遷都した。
これはクフナ・ウルゲンチを流れていた当時のアムダリヤ川の流れが変わり、街から遠くなった事と、ブハラ・ハン国との争いが起き、国の政情が不安定になったためと言われている。
お店
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メドレッセをお店にしていた。
元のメドレッセは、YoqubboyJodjaメドレッセ。
パフラヴァン・マフムド廟
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ここはパフラヴァン・マフムド廟。
その入り口の風景。
パフラヴァン・マフムド廟はヒヴァ・ハン国の大臣だったパフラヴァン・マフムドの霊廟。
パフラヴァン・マフムド廟
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パフラヴァン・マフムド廟の中庭。
賑やかに多くの人が来ていたと思えば、新婚カップルがお参りをしていた。
パフラヴァン・マフムド廟
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礼拝堂の中では聖職者による礼拝者への説法がなされていた。
なお、この中庭には前述した、ヒヴァの町ができるきっかけとなったヘイワクの泉が残り、現在でも泉は湧き出ている。
イスラム・ホジャ・メドレッセ
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ここはイスラム・ホジャ・メドレッセ。
ヒヴァ・ハン国の最後の王の大臣イスラム・ホジャによって建てられた、ヒヴァでは比較的新しいメドレッセ。
イスラム・ホジャ・メドレッセ
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イスラム・ホジャ・メドレッセと高い塔のミナレットの風景。
メドレッセとはイスラムにおける神学校の事。
イスラム・ホジャ・メドレッセ
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特徴的なのは、とても高いイスラム・ホジャ・メドレッセのミナレット。
高さは45mあり、イチャン・カラのどこからでも見る事ができる、町のシンボル。
ジュマ・モスク
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これは非常に変わったモスクで有名なジュマ・モスク。
金曜モスクとも呼ばれるこのモスクの特異な所は、212本もの木製の柱で支えられている事。
このスペースは高床式の床下の様に見えるが、れっきとした礼拝堂です。
タシュ・ハウリ宮殿
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ここはタシュ・ハウリ宮殿
前述のクフナ・アルクに匹敵する宮殿として建てられた、ヒヴァ・ハン国の歴代君主の館。
とても美しい幾何学模様のタイル装飾が一面に施されている。
通りの風景
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カールマルクス通りを東の方へ。
振り返ってカリタ・ミナル・ミナレットの風景。
カリタ・ミナル・ミナレットが途中で切れた様な形になっているのは、建設を指示したヒヴァ・ハン国の君主、ムハンマド・アミン・ハーンが建設中に亡くなり、そこで工事は中止されたため。
ミナレット下部の太さを考えれば、完成していれば、とてつも無い高さのミナレットに成っていただろう。
通りの風景
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18世紀、ブハラ・ハン国は古代ペルシャのアフシャール朝の侵攻により支配下に入る。
19世紀に入るとロシアの侵攻を受けホラズム人民ソビエト共和国が建国、ブハラ・ハン国は滅亡する。
通りの風景
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カールマルクス通りから少し外れた通りの風景。
中世のイスラムの街の姿を、そのままに残す古都ヒヴァの街角、そしてシルクロードで栄えたヒヴァ・ハン国の繁栄の跡。
時が止まった様な、ノスタルジックな風景が今に残る。
東門
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カールマルクス通り、東の突き当り東門へと続く。
20世紀にホラズム人民ソビエト共和国はウズベク・ソビエト社会主義共和国に吸収され、ソビエト連邦の1つとなり、ヒヴァは首都では無くなる。
バザール
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東門から一旦イチャン・カラを出ました。
そこに開かれていたバザールの風景。
ビデオを向けたら笑顔で応えてくれた。
クフナ・アルクからの風景
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もう一度イチャン・カラの中へ。
美しいイチャン・カラを一望できるクフナ・アルクの城壁に再度登ってみた。
ムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレッセの風景。
右の塔はジュマ・モスクのミナレット。
クフナ・アルクからの風景
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クフナ・アルクの北側へ続く城壁。
ソ連邦は崩壊し、ウズベキスタン共和国が独立、ヒヴァはウズベキスタンの一地方都市となった。
クフナ・アルクからの風景
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クフナ・アルクの南へ続く城壁と西門のアタ・ダルヴァザ門。
ヒヴァの旧市街はイチャン・カラとして世界文化遺産に登録されている。
クフナ・アルクからの風景
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クフナ・アルクの城壁から城外の風景。
ウズベキスタンの観光はおしまい。
これから南へ。
国境を越えてトルクメニスタンへ行きます。