ジンバブエ共和国
ブラワヨ空港
1/89
ジンバブエへの入国はブラワヨ空港から。
ジンバブエはかつてはザンビアと共にローデシアと呼ばれ、ヨーロッパからの白人移民によって支配されていた。
ブラワヨ
2/89
首都ハラレに次ぐジンバブエ第2の都市ブラワヨ。
と言ってもそれ程の都会ではない。
ここは市街の中心地レオポルド・タカウィラ大通り。
主要な公共施設が建つ。
ブラワヨ
3/89
街路樹になっているジャカランダ。
筆者が訪れたのは10月の初め。
南半球のジンバブエでは春。
ジャカランダの美しいムラサキ色の花が爛漫と咲き乱れていた。
ジンバブエの子供達
4/89
国の経済は破綻しており、失業率は80%を超え、インフレが年200万%上昇と言う天文学的な数字となる。紙幣の発行額面も、とてつもない高額になり、デノミ直前で100兆ジンバブエドル紙幣が準備された。しかし国内に出る前にデノミが行われ、結局使用されずに多くは海外のコレクターへと流出した。筆者も一枚持っていて最終ページに写真があります。
百年公園
5/89
国立自然歴史博物館に隣接する百年公園。この国の経済問題はムガベ大統領による長期独裁体制が原因とされ、反対勢力への弾圧、迫害が行われている。また、医療や衛生面も問題が多く、平均寿命の最も短い国の一つで36歳と言われている。近年コレラも流行し、物不足、社会情勢の悪化から治安が極めて低下しており、現在渡航するには十分な検討がいる。
百年公園
6/89
春のブラワヨ、美しい花が咲き乱れる百年公園。
筆者が訪問した2000年のジンバブエは今の様な情勢ではなかった。
カミ遺跡
7/89
ブラワヨの郊外、車で半時間位の所に残されている石造遺跡のカミ遺跡。
カミ遺跡
8/89
後に出ますグレート・ジンバブエ遺跡と比べると小規模な遺跡。
しかし、切り出した石材を交互に積み重ね、チェッカー‐フラッグの様な市松模様を作り出していて、美しい遺跡。
リュウゼツラン
9/89
カミ遺跡に自生していた竜舌蘭。
背の高い花を咲かせていた。
これらの種は花を咲かせるのに何年も掛かり、また一度花を咲かせたら枯れてしまう様だ。
カミ遺跡
10/89
グレート・ジンバブエが衰退した後トルワ王国として約200年間栄えた。
カミ遺跡群国立記念物としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。
トカゲ
11/89
カミ遺跡で見かけた派手で大きなトカゲ。
サル
12/89
遺跡周辺には何頭ものサルがいた。
この辺りに住み着いているのだろう。
フリーマーケット
13/89
グレート・ジンバブエ遺跡へ向かう途中、立ち寄った町のフリーマーケット。
少年
14/89
ジンバブエの男の子。
フリーマーケットにて。
グレート・ジンバブエ
15/89
ジンバブエの観光において、ビクトリアの滝と双璧をなすグレート・ジンバブエ遺跡。
大ジンバブエ国立記念物として世界文化遺産に登録されている。
遺跡入り口付近の風景。
グレート・ジンバブエ
16/89
元来、国名のジンバブエとは石の家の意味で、石造建築遺跡そのものを指していた。
その中でも最も広大な遺跡だったここを大ジンバブエと呼ぶ様になる。
グレート・ジンバブエ
17/89
遺跡内は東西、南北共に約2Kと広く、いくつかのサイトに分かれる。まずは中心北寄りに花崗岩でできた小高い丘があり、そこに登る。ここに通称アクロポリスと呼ばれるヒル・コンプレックスがある。
グレート・ジンバブエ
18/89
アクロポリスへは石を積んだ階段で上がる。
階段の周囲には石を積み重ねた壁が続く。
グレート・ジンバブエ
19/89
この辺りに集落ができたのは紀元前10世紀頃とされる。
丘の中腹の風景。
グレート・ジンバブエ
20/89
12世紀に入ると支配者として王が台頭し、大ジンバブエ王国が形成される。この時期から石造建築物の建造が始まる。アクロポリスの丘、頂上付近の風景。高く積まれた石積みの城壁が立ちはだかる様に建つ。
グレート・ジンバブエ
21/89
大ジンバブエ王国はインド洋との金の交易で都市は繁栄し、14世紀に最盛期となる。
巨大な岩の上に建つアクロポリスの風景。
この城壁は囲壁、エンクロージャーと呼ばれる。
グレート・ジンバブエ
22/89
王国の都市人口は2万近くになり、最盛期のこの時期にアクロポリスやグレートエンクロージャーは築かれた。
アクロポリスの城壁内部。
グレート・ジンバブエ
23/89
100M足らずの丘、ヒル・コンプレックスにあるアクロポリス。
ここには大ジンバブエ王の宮殿や神殿があった。
グレート・ジンバブエ
24/89
筆者近影。
アクロポリスにて。
グレート・ジンバブエ
25/89
大ジンバブエ王国の民族に付いては諸説ある。
ヨーロッパでの研究では、近年までブラック・アフリカのネグロイド民族が高度な文明を築ける訳がない、と言う白人至上主義の説が通説だった。
アクロポリス、王の宮殿跡風景。
グレート・ジンバブエ
26/89
しかし現在ではその白人至上主義説は間違いで、高度な黒人文明がここに発祥した事を皆が認めている。
アクロポリスの城壁の上を歩く旅の仲間。
グレート・ジンバブエ
27/89
城壁の上から見下ろしたアクロポリス、王の宮殿跡。
グレート・ジンバブエ
28/89
アクロポリスからの遠望風景。
グレート・ジンバブエ
29/89
高い石壁がそびえるアクロポリス。
美しい曲線を作る見事な石積み。
その間をぬう様に道や階段が造られていた。
グレート・ジンバブエ
30/89
アクロポリスから南側、グレート・エンクロージャーの全景。
グレート・ジンバブエ
31/89
アクロポリスからの遠景。
谷の遺跡の集落跡。
グレート・ジンバブエ
32/89
グレート・ジンバブエ遺跡の北方にあるカイル湖の風景。
アクロポリスから。
グレート・ジンバブエ
33/89
遺跡に立つ満開のジャカランダの木。
アクロポリスから。
グレート・ジンバブエ
34/89
丘の頂上には巨大な自然石があり、石積みの建造物と組み合わせてアクロポリスは造られていた。
岩の上に立ち、グレート・ジンバブエ遺跡を見下ろす旅の仲間達。
グレート・ジンバブエ
35/89
下から見上げた、丘に立つアクロポリスの全景。
グレート・ジンバブエ
36/89
グレート・ジンバブエ遺跡の2つ目のサイト、グレート・エンクロージャー。
アクロポリス南側の低地に位置する。
グレート・ジンバブエ
37/89
グレート・エンクロージャーとは、同じ大きさの石材を何万と使い、積み重ねて建造した、高さ11M、厚さ5Mの巨大な壁の要塞。
全景を見るのは困難で、アクロポリスから見下ろした写真は「30頁」にあります。
グレート・ジンバブエ
38/89
規模の大きい、数多くの建造物が建造できたのは、この周辺の地質が花崗岩質で、地表に露出している岩石も豊富にあり、それらを石材として入手するのに容易にできたため。
グレート・ジンバブエ
39/89
アクロポリス南側の低地に位置するグレート・エンクロージャー。
大囲壁とも言われ、ほぼ円形に造られた壁の直径は有に100Mを超る。
壁に囲まれた内部には王妃や王の一族が住んでいたとされる。
グレート・ジンバブエ
40/89
場所によっては二重の壁が造られていて、極めて幅の狭い通路しかない所がある。
筆者の様に横幅のある人はやっと通れるくらい。
グレート・ジンバブエ
41/89
グレート・ジンバブエの中で有名な大円錐塔。
円錐の形をした石の塔で高さ10Mくらい。
グレート・ジンバブエ
42/89
大円錐塔の目的や用途は不明で、穀物倉庫説や宗教施設説などがある。
グレート・ジンバブエ
43/89
都市の繁栄はやがて衰退へと向かう事になる。人口の増大はより広い農地開拓へと進み、建造物や燃料に使用する木材確保のため、大規模な森林伐採を行った。結果、土地はやせ、干ばつなどの気候変動が起きる様になる。すなわち環境破壊である。この様な事例は古代マヤ文明でも見る事ができる。
グレート・ジンバブエ
44/89
食糧不足や疫病の流行は支配者階級の失墜や都市内での争いの原因となった。また交易の減少も都市衰退の大きな要因であった。これは干ばつなどで交易ルートの河川が使用できなくなり、商人達は別の都市と交易をする様になる。グレート・エンクロージャー周辺に残る石積み。
グレート・ジンバブエ
45/89
グレート・ジンバブエ遺跡の南に位置する3つ目のサイト、谷の遺跡。
ここは住居があったと言われている。
全体の風景は「31頁」で。
グレート・ジンバブエ
46/89
環境的にも経済的にも大きな痛手を負った人々は、より良い土地を求めて移住して行き、大ジンバブエ王国は放棄された。
王国滅亡の後、台頭してきたのが、前述のカミ遺跡を残したトルワ王国である。
グレート・ジンバブエ
47/89
谷の遺跡では、この地方独特の丸い形をした茅葺きの住居を復元して展示している。
一部はお土産屋になっていた。
グレート・ジンバブエ
48/89
グレート・ジンバブエ遺跡、ゲストハウス。
ドライブイン
49/89
途中に立ち寄ったドライブイン。
この季節はどこに行っても美しい花に出会う。
バスターミナル
50/89
町のバスターミナル。
長距離バスらしく、みんな大きな荷物を持ち込んでいた。
ジンバブエの女性
51/89
ジンバブエの女性。
ロバ車
52/89
町ではロバが活躍。
ロバ
53/89
かわいいロバの子供。
ジンバブエの女性
54/89
ミシンで縫い物をしていたジンバブエの女性。
ジンバブエの村
55/89
ビクトリアフォールズへ向かう途中、立ち寄ったジンバブエの村。
簡素な造りの家。
ジンバブエの子供達
56/89
小さな集落に暮らすジンバブエの子供達。
ジンバブエのお母さん
57/89
まだ小さい子供を抱えたジンバブエのお母さん。
ジンバブエの男の子
58/89
ジンバブエの男の子と子犬。
ビクトリアの滝
59/89
南米イグアスと双璧をなす巨大な瀑布、観光の目玉、世界自然遺産ビクトリア・フォールズ。
国立公園の入り口風景。
ビクトリアの滝
60/89
ビクトリア・フォールズ国立公園の入り口で出会った少女。
ジンバブエの女の子かな。
ビクトリアの滝
61/89
ビクトリアの滝はアンゴラを源とするザンベジ川中流域のジンバブエ、ザンビア国境に位置する。
ビクトリアの滝
62/89
アフリカ大陸を探検したイギリス人、リビングストンにより発見される。
かれは自国の女王、ビクトリアの名を滝につけた。
ビクトリアの滝
63/89
高さは100mを超え、幅は1.7Kにも及ぶ。
ビクトリアの滝
64/89
世界三大瀑布の一つ。
他は北米ナイアガラ、南米イグアス。
ビクトリアの滝
65/89
訪れたこの季節は乾季の後半。
にも関わらずとてつもない水量。
地響きの様な水の落下音。
自然の迫力の前には呆然と立ち尽くすのみ。
ビクトリアの滝
66/89
雨季より水量が少ないこの季節。
それでも風向きによっては霧状の水煙がおそってきて、カメラのレンズに水滴が付く。
ビクトリアの滝
67/89
雨季の後半ではザンベジ川の水量も半端では無くなり、一面水しぶきで滝が全く見えなくなるのだそうだ。
見物よりも迫力を楽しむにはその時期が良いだろうが、観光には乾季に入ったこの頃が良い。
カメレオン
68/89
ビクトリアの滝周辺は国立公園になっていて動物も多く生息する。
ブッシュにいたカメレオン。
これ以外にもイグアナの様な大型のトカゲも見かけた。
ビクトリアの滝
69/89
現地では「雷鳴のとどろく水煙」と呼ばれる。
確かに遠くからでも聞こえる。
ビクトリアの滝
70/89
国立公園として整備されているため、観光の遊歩道もあり展望台も設置されている。
雨季には水しぶきを浴びるのでレインコートのレンタルも準備されている。
ビクトリアの滝
71/89
雨季では見られない滝の全景。
渓谷美が堪能できた。
ビクトリアの滝
72/89
滝の水による崖の浸食が見られる。
今でも少しずつ削られ、滝は上流へ移動していると言う。
クラフト・ショップ
73/89
ビクトリア・フォールズの町にあった民芸品店。
アフリカ色の強い民芸品が数多くおいていた。
民族音楽
74/89
クラフト・ショップ近くで、アフリカ音楽を生演奏していた。
ジンバブエの男性
75/89
ビクトリア・フォールズの町の案内所にいたジンバブエの男性。
ビクトリア・フォールズ駅
76/89
ビクトリア・フォールズへのターミナル、ビクトリア・フォールズ駅の風景。
ビクトリア・フォールズ駅
77/89
長編成の貨物列車。
ビクトリア・フォールズ駅
78/89
遮断機が下り、汽笛を鳴らして列車が通るのを見ていたら、なんとSL。
ここでは現役で客車を引っ張っていた。
国境を越え、ザンビアのリビングストンや首都ルサカへ向かう列車。
バオバブの木
79/89
バオバブの木。
イボイノシシ
80/89
野良イボイノシシ。
町中にいた。
イボイノシシ
81/89
特に飼われている様子もない。
ザンベジ川クルーズ
82/89
ビクトリアの滝上流でのザンベジ川サンセットクルーズ。
ザンベジ川クルーズ
83/89
美しい夕日の景色
民族ダンス
84/89
ビクトリア・フォールズでの夜は民族ダンスのショーを楽しんだ。
民族ダンス
85/89
精霊たちの仮面を着けて踊る地元の人々。
ホテル
86/89
ビクトリア・フォールズのホテル。
ビクトリア・フォールズ空港
87/89
ビクトリア・フォールズ空港は一大観光地なので、空港は整っていた。
入出国スタンプ